息子のためリングへ…日本初の“全盲のプロレスラー”がデビュー 39歳男性が10年越しの夢を叶えられた理由
高校入学からプロレスジムに通い、プロレスラーとして、デビュー目前でした。しかし、大舘さんに、またしても壁が立ちふさがりました。 大舘さん: 「自転車に乗っていて、溝に落ちるようになったりとか、電信柱にぶつかるようになったんです」 見えていた左目が徐々に悪化し「全盲」に。大舘さんは、プロレスから離れました。
大舘さん: 「落ち込んで、ちょっと引きこもった時期もありましたね。大好きでやりたいのにできなくなったので、それこそ話も聞くたくないし」
■2度目のがんで死に直面…プロレスに駆り立てた長男への思い
高校卒業後は「鍼灸マッサージ師」の資格を取得し、マッサージ店を開業。アシスタントをしていた恵津子さんと結婚し、一児の父となりました。
しかし30歳をすぎて「膀胱がん」に。2年後に肝臓へ転移が見つかり、一時、死に直面しました。 大舘さん: 「いよいよ死んじゃうのかなと思った時に、プロレスやりたかったなという思いが出てきた。子供を育てていて、好きなことをして生きていって欲しいし、そう思っているのに自分が好きなことをしていないのに、子供に好きなことをしろと言ってもね。矛盾しているなと思ったので。諦めない気持ち、もがいている姿を、息子に見せられたらと思っています」 プロレスラーの夢を、もう一度追いかける。諦めずに好きなこと追う素晴らしさを、息子に伝えたい。妻も背中を押してくれました。
大舘さんの妻・恵津子さん: 「お父さんの良い所だけでなくて、ダメな所も見て、それでちゃんと決めた道に向かって諦めずに行っている姿が一番の教育というか。激励どころか後ろからドロップキックじゃないけど、行け!みたいな(笑)」 Q.どんなお父さんですか 大舘さんの長男・しゅんくん(10): 「普通のお父さん。別に目が見えないままでいいと思うけど。目が見えたらもうプロレスがレアじゃなくなるから」
「目が見えなくてもプロレスラーになりたい」と全国のプロレス団体を訪ね、名古屋の「スポルティーバ」だけが、受け入れてくれました。 2023年秋、家族全員で石川県から名古屋に移住し、マッサージ店でアルバイトしながらデビュー戦を目指してきました。