なぜ初マラソンの西山雄介が強風の別府大分を2時間7分47秒の大会新で勝てたのか…駒大時代は箱根駅伝で凡走も5年計画で開花
数年前なら2時間9分台で終わっていたようなコンディションだったが、外国招待選手不在でも日本人選手が高速レースに持ち込んだ。そのなかでも最も強さを見せつけたのが、初マラソンで2時間7分47秒の大会新を叩き出した西山だ。 伊賀白鳳高3年時の全国高校駅伝1区で区間賞を獲得。駒大時代は三大駅伝にフル参戦しているが、「エース」と呼べるほどの活躍はできなかった。当時はスタミナよりもスピード型の選手という印象で、箱根駅伝は3年連続で7区を担うと、4年時は1区で区間6位だった。それでもトヨタ自動車に入社後は、マラソン挑戦を常に意識してきた という。 「入社5年目にはマラソンに出場したいなと思っていました。ただマラソンでも10000m27分台のスピードは最低でも必要になってくるので、27分台を出した次の年にマラソンをやろうと入社時から考えていたんです。当初はトラックをメインにやっていたんですけど、入社1~2年目は自分のなかでうまくいかない部分がたくさんありました」 最初の2年間はニューイヤー駅伝を走ることができなかったが、入社3年目(19年)のMGCをテレビ観戦して、西山のなかで変化があったという。MGCを制したのが高校・大学の先輩となる中村匠吾(富士通)、同2位が1学年上のチームメイトである服部勇馬(トヨタ自動車)だったことも大きかった。 「この舞台で戦いたいという目標がすごく明確になったんです。そこから自分でも変わったなと思います。気持ちの面もそうですし、継続したトレーニングができるように、練習前の準備と練習後のケアは入念にするようになりましたから。質の高い練習を継続して行う。本当にシンプルなんですけど、それが一番難しい部分だと思うので本当に大切にしてきました」 西山は入社3年目にニューイヤー駅伝に初出場。3区で11人抜きを演じて区間賞を奪うと、区間新記録を樹立した。入社4年目には10000mで27分台をマーク。入社5年目の今季はプラン通り、初マラソンに挑戦した。