関電の金品受領問題 第三者委が会見(全文2)決断力、勇気が経営者に欠けていた
自分の力で終了してほしかった
ただ、もちろんその段階で関係を断ち切るという行為に出れば、やはり社会からも批判されるし、皆さん方からもたたかれたと思います。しかし、よそから言われて始めて事件が終了するということは、これは恥ずかしいことで、自分の力で終了してほしかった。それはやはり、新しい【カンサイペント 00:56:02】、これからスタートするわけですけど、これから、人間のやることです、企業のやることです。だから間違いをすることはあると思います。失敗することもあると思います。しかし、そうした場合でも目先の混乱、社会的な非難を恐れないで、間違ったことを正す、そういう責任感、勇気、決断力をもって今後はやっていただきたいと思います。 それではもう1つ、今後の問題について付け加えたいと思います。私は1962年、昭和37年に弁護士になりました。今日まで57年、58年目になります。大阪で何をしとったかといいますと、最初の15年間、20年間は、私は大阪弁護士会の活動の一環だったんですけども、公害裁判をやっていた。大阪空港公害事件という騒音問題がありました。そのことで、公害紛争に関与してきたんですけども、本件、森山さんというそういう人物ときっかけが、関西電力とのきっかけができた経緯、これは調査報告書に書いてありますけれども、町の助役退任後、フナクイムシ問題という、要するに発電所が出す温排水によって、海運会社が損害を被ったという事件。その事件の交渉、解決を、それを森山さんに頼んだのが、関西電力が頼んで、そこで腐れ縁ができたと。
司法の正式な手続きを使ってほしかった
だけど今のレベルで言うと、司法の透明感、司法制度改革というのが政府を先頭に進められて、今そういうことは、皆さんの常識になっているんですが、やはり公害問題については裁判所の公害調停とか公害審査会とかさまざまな正式な機関がある。その当時でも調整制度はあったわけですけど。そういう国家の制度に基づいて、本件の場合だったら関西電力がその海運会社に対して堂々と、つまり司法の正式な手続きを使って、それで払うべきものは払うということで、特定の、森山さんに頼んで交渉するというようなことは、これはすべきではなかった。 だから、今後もおそらくいろんな問題が出てくるかも分からない。完璧な経営はできないわけですから。なんらかの困難に逢着した場合には、そういう司法制度を利用していただきたいというふうに思います。だから、これは報告書に書いてないことで、私が公害裁判をやってきた経験から、ちょっと残念だったなと。森山なんかに頼まなくても良かったんじゃないかというふうに思いますので、これから先、いろんな問題で困難に逢着した場合は、国の制度に基づいて堂々と解決していただきたいというふうに思います。以上です。