伊那谷楽園紀行(18)図らずも誕生した「聖地巡礼発祥の地」
「ここは……図らずも誕生した「聖地巡礼発祥の地」なのです」 「アニメ聖地巡礼発祥の地記念碑を建立しようと思っているんです」 最初に牧田が、そんな話を始めたのは2016年のことであった。「アニメ聖地巡礼発祥の地」を名乗って楽しむようになったのは、2013年の二回目の開催の時だった。 【連載】伊那谷楽園紀行 この時、田切駅を「アニメ聖地巡礼発祥の地」とする宣言が読み上げられて盛り上がった。宣言には次のように書かれていた。 いまさら言うまでもありませんが…… かれこれ20年以上も昔、ここ田切駅に「あ~るファン」が集まるという、不思議な不思議な“現象”が始まりました。 この何の変哲もない田舎の駅に、全国から多くの人が集い、誰が置いたのか備え付けのノートに自分の思いを書き込みし、思い思いに写真を撮り、果ては自主的に周辺の掃除までして帰る。そんな不思議な“現象”がここ田切駅で始まったのです。 (中略) そう、まさしくここ田切駅は『究極超人あ~る』とそのファンによって図らずも誕生した「聖地巡礼発祥の地」なのです。 「アニメ聖地巡礼発祥の地」がどこなのか。 実のところ、この問いには様々な説がある。とはいえ、いくつもあるであろう発祥の地の一つが、この田切駅なのはまごうことなき事実。半ばは、ちょっとしたおふざけ。半ばは、わざわざ伊那谷へ来てくれる参加者への感謝の気持ちを込めた宣言。それは、参加者の間では、大いに盛り上がった。
でも、牧田が「記念碑まで作ろう」というのは、予想外のことだった。でも、わざわざ伊那谷にまでやってくる参加者は「それは、なんて面白いんだ」と盛り上がる思考の持ち主ばかりだった。最初に牧田が作成した趣意書によれば、聖徳寺の駐車場のはじを借りて、路傍の石のようにちょこんとした碑が建つイメージであった。そのサイズで、予算は40万円。参加者が2000円から4000円を支払えば、費用のだいたいは賄える。 「碑ができたら、横で屋台でも始めよう」 つげ義春の『無能の人』の主人公みたいな姿を想像しながら、私も早速賛同した。その年の「轟天号を追いかけて」だけで28万6000円が集まった。碑の建立は、田切駅が開業100周年を迎える2018年に決まっていた。それまでに残り11万4000円。もう一度集めたら、もう一回りくらい大きな碑が建つのではないか。そんな話もしていた。 「あとは、自分が少しだせば大丈夫だなあ」 そんなことを牧田は嬉しそうに語っていた。 でも、碑を建てるまではいくつかのハードルを越えなければならなかった。 もっとも大きな問題は碑に刻む由来の文章のことだった。前述のように、毎年「轟天号を追いかけて」の参加者に渡すスタンプカードには『究極超人あ~る』をデザインしている。これは、最初から権利者に許諾を申し出て、所定の使用料を支払って許可を得ていた。 でも、スタンプカードと違い恒久的に、誰もが見ることのできる石碑となると話が違う。もちろん、由来の文章に「こういうことがあったのだ」と作品のタイトルを入れることは勝手にやってもよいかも知れない。でも、牧田も捧もそういうことはしたくなかった。そもそもスタンプカードの版権使用料は支払っているが「轟天号を追いかけて」というタイトルで人が集まる催しを行っていることは、いわば「黙認」である。よりよい関係性で石碑を建立したいというのが、参加者も含めた思いだった。