伊那谷楽園紀行(18)図らずも誕生した「聖地巡礼発祥の地」
打診してから、すこし時間が経って権利者から返事が来た。原作者や出版社として公認することはできないというものだった。 その理由は、しごくまっとうなものだった。石碑には「アニメ聖地巡礼発祥の地」という文字が刻まれる。もし、それを公認してしまえば、事情を知らない人は名のある描き手や出版社が認めたのだと思うだろう。けれども「本当に間違いなく、ここが発祥の地なのだ」という証拠はどこにもない。 もっと昔から「私は○○という作品を見て、現地まで足を運んだ」という人が次々と出てくるかも知れない。日本のアニメーションの歴史というものは、存外に長い。もしかすると太平洋戦争中に作られた『桃太郎 海の神兵』に感銘を受けてインドネシアのパレンバンに行ったという人もいるかもしれない……。 なによりも作品を愛する者にとって、作者や出版社に負担をかけるのは、決してあってはならないことだ。そう考えて、牧田たちは公認を諦めた。碑に刻む文章も、何度も考えて『究極超人あ~る』の作品名を出さずに、読んだ人にはわかるものにした。 そうしているうちに時間は過ぎ、2018年になった。春、早々と発表された参加要項では、いよいよ今年は石碑が立つことが記されていた。2018年のイベントタイトルは「轟天号を追いかけてTHE 7 伊那の七福神 聖徳寺様は福禄寿」に決まった。折しも『週刊スピリッツ』では『究極超人あ~る』の新作エピソードが掲載され、単行本や愛蔵版の発売が発表されるなど、状況が盛り上がりを見せていた。牧田が参加者に送る案内メールも、例年よりも気合が入って数が多かった。 地元の駅に、ほかにはない大勢の人が集まる日。しかも、今年は石碑が立つということもあり飯島町も盛り上がっていた。参加者が必ず立ち寄るスポットである「道の駅・田切の里」では「轟天号を追いかけて」ののぼりを立て、そのミニサイズも作成して販売することを告知していた。 祭りを前に、例年になく参加者は盛り上がっていた。だが、いよいよ今週土曜日となった時、暗雲が立ちこめてきた。どうも、台風が直撃しそうだと天気予報が告げていたのだ。 (ルポライター・昼間たかし)