江戸時代には「全身白ギツネ男」が実在した シーボルトお抱え絵師が残した200年前の日本は「別世界」 ドイツの博物館収蔵の画像で判明
写真技術がもたらされる前の江戸時代。日本各地の庶民の実際の姿はどんなものだったのか?ドイツ・ミュンヘンの五大陸博物館が、収蔵する約2百年前の日本人画家の絵の画像使用を許可した。長崎・出島のオランダ商館に駐在したドイツ人医師シーボルトが、お抱えの町絵師・川原慶賀に発注したものだ。 【写真】取り壊し寸前の江戸城、ハイビジョンのような鮮明さ 幕府崩壊から数年
葛飾北斎ら同時代の有名な浮世絵師たちの画風とは全く異なり、慶賀の人物画は西洋画の影響を受けており写実的だ。 長崎純心大で長らくシーボルトや日欧文化交流を研究している宮坂正英客員教授(69)は「今とは別世界だった江戸時代を正確に写した貴重な資料」と評価している。(共同通信=下江祐成) ▽忘れ去られた多様な庶民の姿 慶賀は江戸時代末期の長崎の町絵師で、鎖国下、シーボルトらによる江戸参府に同行して、道中さまざまな人物を描写した。 その絵を見て、圧倒されるのは多様性にあふれる庶民の姿だ。近年の日本史研究では士農工商という固定された身分制度は否定されており、江戸時代が多様な身分や宗教が混在した社会だったことが分かっている。 全身白ギツネのような格好で歩く「キツネ面の男」は、多様性の典型例と言える。 稲荷神社に参詣し、餌の少ない寒中に油揚げなどをやぶに置いて歩く「寒施行」の姿を描いたものだ。寒施行の風習は、京都や大阪を中心とした上方や西日本で広く見られたという。
紀州や土佐のほか、長崎や佐賀などで盛んに行われていた鯨取りの漁師の姿も残る。冬の海で巨大な鯨に飛び乗って直接、とどめを刺す「羽差」と呼ばれた花形漁師の姿だ。鯨に海中に引きずり込まれたり尾びれの強烈な一撃を受けたりする命がけの役目だった。 特徴的な長いまげは、海中で力尽きた際に、仲間がつかんで引き上げやすいように伸ばしていたと伝えられている。 慶賀の人物画は過去、出版社が発行したが、増刷はなく現在、再販予定はない。宮坂氏は、五大陸博物館でも公開していないと説明し、この画像で「明治以降、西洋化された私たちが忘れ去った江戸時代の日本人の姿を見てもらえたら」と話す。 ▽消えゆく日本文化を危惧 シーボルトがオランダ政府から研究費を支給されていたのは、動植物など自然科学分野だ。なぜ仕事目的以外の庶民の姿を描かせたのか―。 宮坂氏は、シーボルトが家族に宛てた未出版の手紙にある「この文明は早晩なくなるので記録しないといけない」との記述に注目している。