江戸時代には「全身白ギツネ男」が実在した シーボルトお抱え絵師が残した200年前の日本は「別世界」 ドイツの博物館収蔵の画像で判明
産業革命を経て圧倒的となった西洋文明の流入が迫っていた当時。シーボルトは、日本独自の文化がなくなってしまうことを危惧し、慶賀に日本人のありのままの姿を描かせたとみられている。 当時の有名な浮世絵師たちは、江戸の歌舞伎役者や美人画は多く残したものの、さまざまななりわいの庶民にフォーカスを当てて描いたものはあまり見られない。 鎖国下、西洋への唯一の窓口だった長崎・出島に自由に出入りでき、写実的な技法を習得していた慶賀がいなければ、普通の庶民の姿がこれほどビビッドな形で残ることはなかったと言えそうだ。 一介の町絵師だった慶賀の晩年は、不遇なものだった。妻と娘2人に先立たれ、そばにいた可能性があるのは画家の息子1人だったようだ。 長崎奉行所による判決記録「犯科帳」に、国外に日本地図などを持ち出そうとしたシーボルト事件に連座した「罪人」としての慶賀の記録が残っている。 外国人スパイに協力した危険人物―。こんな冷ややかな目で見られながら、ひっそりとこの世を去ったとみられている。