禅僧が語る「罪悪感につぶされそう」な状態を切り抜けるヒント
「あの時、こうしていれば...」後悔は誰もが抱く感情です。罪悪感がいつまでも消えず、悩んでいる人も多いでしょう。心の重荷から解放されるには、どうしたらいいのでしょうか。曹洞宗徳雄山建功寺の住職である枡野俊明さんによる書籍『罪悪感の手放し方』より、負の感情と向き合い、新しい人生を送るためのヒントを紹介します。 他人の幸せが羨ましい...「劣等感で苦しい人生」を抜け出すための言葉 ※本稿は、枡野俊明著『罪悪感の手放し方』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
何事にもとらわれず「今」を生きるために
「今、この瞬間」において、最善を尽くすこと。それは、心を煩悩や執着の重荷から解放し、一点の曇りなく生きるための、禅の教えです。「罪悪感」もまた、そのような重荷の一つでしょう。 「なぜ、あのとき、こうしなかったんだろう」 「なぜ、あんなことを言ってしまったんだろう」 と自分を責め続け、過去を何度も反芻するうちに、心は鉛のように重くなります。 「なぜ、なぜ」と自問するたび、手足は悔恨の念にとらわれていきます。そんなとき、禅は何を説くのか。「今をただ生きよ」と説くのです。 誤解しないでいただきたいのですが、これは「過去の過ちなど忘れてしまえばいい」と突き放しているのではありません。むしろ、よりよい「今」を生きるための糧とせよ。後悔を後悔のまま放置してはいけない。そんな意味だととらえてください。 私が申し上げるまでもなく、過去を変えることはできません。しかし、どのような過去であっても、いいえ、「二度と同じ過ちは繰り返すまい」という思いが強ければ強いほど、よりよく生きる契機とすることができるはずです。その道のりは無論、平坦なものではないかもしれません。 罪悪感を埋め合わせようと躍起になり、あれもこれもと手を出しては心が擦り切れてしまう人もいます。それでもなお、誰もが、罪悪感から解放され、自分らしく生きることはできる。禅の教えがそのような生き方のヒントになると、私は信じています。 「随処作主 立処皆真(ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり)」 という禅語があります。臨済宗の開祖として知られる、臨済義玄禅師の言葉です。その心は、どのような状況にあっても、自分が主となり(主体的になり)懸命に取り組めば、何事にも影響されることなく、人生の主人公になれる、ということ。 罪悪感も、後悔も、後ろめたさも、すべては過去の出来事に由来しています。しかし、過去は過去、今は今です。私たちが生きている今という時間は、過去から切り離されたところにあるのです。 冬が春になり、春が夏になるのでなく、春夏秋冬がそれぞれ独立しているように、過去、現在、未来もつながってはいません。そうであるならば、「今」をただひたすらに、生きるまで。それが禅の精神です。