「俺にはぴったしの奥さんだった」 ノムさんが携帯を5台折られても「サッチーに恨み言は一切ない」と断言した理由とは
第1回【「ねぇ、ちょっと手を握って」…野村克也さんが明かしていた「悪妻・サッチー」の知られざる最期】を読む 【写真】晩年も仲良し夫婦すぎる2人 OB戦で打席に立ったノムさんの雄姿も “サッチー”ことタレントの野村沙知代さんが、2017年12月8日に急死してからもう7年が過ぎた(享年85)。死因は虚血性心不全。そして夫の“ノムさん”こと野村克也さんも、2年3カ月後の2020年2月11日、同じ死因で旅立っている(享年84)。生前のノムさんが大いに語りつくした、愛するサッチーとの物語。 (全2回の第2回:「新潮45」2018年3月号「妻に先立たれた男の話 『サッチーさんはラッキーガールだった/野村克也』」を再編集しました) ***
伊東沙知代は世界に1人しかいない
結局、南海の川勝傳オーナーや球団代表、後援会長が一堂に会する席に呼び出されて、「野球を取るか、女を取るか」と迫られた。そこで俺は、「仕事は世の中にいくらでもある。でも、伊東沙知代は世界に1人しかいない」と、カッコいいことを言っちゃったんだよ。それで南海を解任されてしまった。 当時はもちろんショックだった。野球選手として使い物にならん、というのならともかく、女が原因でクビだからね。不謹慎極まりないわけで、もう職はないなと、もう球界に復帰はできんなと思った。 そんな時に奥さんは「関西なんて大嫌い! 東京に行こう、東京に!」なんて言い出した。彼女に背中を押される格好で、幼い克則を後部座席に乗せて、車で東京に向かったよ。仕事のあては何もないし、不安に押し潰されそうになりながらハンドルを握っていたのを覚えている。俺は車中で奥さんに聞いたんだ。「なぁ、どうするや。東京に行くのはいいけど、職がないんや。何して食ってくんだよ」、と。そうしたら奥さんはひと言、「何とかなるわよ!」。凄い度胸だなと思ったね。
ロッテと西武に拾われて
自分のせいで亭主がクビになったわけだから、俺以上にショックを受けていたのは間違いない。それなのに、平気な顔をして「何とかなるわよ!」と言えるんだから。あれには参った。そして正しかった。本当に何とかなったわい。 捨てる神あれば拾う神ありで、東京に着いたら、ロッテの重光武雄オーナーに声を掛けられた。南海の川勝オーナーが「野村、要らないか? まだ使える。戦力になるよ」って電話をしてくれていたんだ。お陰様で、ロッテで1年やって、いよいよ引退を覚悟していたら、今度は西鉄から名前を替えたばかりの西武ライオンズに拾われた。結果、どうにか45歳まで現役を続けることが出来たわけです。 運が良かったのは、現役引退と同時にバブル景気が始まったこと。野球解説者になった途端、講演に次ぐ講演でさ。自宅の電話が鳴りやまなくて、朝からパジャマ姿の奥さんが応対してるんだ。あの頃は、誇張ではなく着替える暇すらなかった。全国を渡り歩いて年間300回くらい講演したよ。ダブルヘッダーなんて当たり前で、ひどい時は1日に4回やったこともある。頭のなかがパニックになって冒頭に喋ったことすら覚えてなかった。