「俺にはぴったしの奥さんだった」 ノムさんが携帯を5台折られても「サッチーに恨み言は一切ない」と断言した理由とは
奥さんに壊された携帯は5台
それほど依頼が殺到したんだよ。お陰で田園調布に家が建ったけどね。言うまでもなく、それを取り仕切っていたのは、妻兼マネージャーだった沙知代さんで、「これだけお呼びが掛かるなら、もっとギャラを上げましょうよ」なんて言い出す始末。さすがにやらなかったけどね。でも、あの経験があるから現在の俺がある。今でこそインタビューにも慣れたけど、当時は緊張して人前で物が言えなかったんだから。 ちなみに、講演や野球解説のギャラ、監督時代の給料を含め、お金の管理はすべて奥さん任せ。俺は利用明細がハッキリわかるクレジットカードだけ渡されて、現金は全く持たせてもらえなかった。たとえ「現金がないと困ることもあるんだよ」って言っても、「なによ、カードがあれば何でも買えるじゃない!」。なおも食い下がると、「どうして現金がいるのよ! どうせオンナでしょ!」となる。「もうそんな元気ないよ」と言ったところで許してくれない。 まぁ、確かに銀座の女性からご機嫌伺いの電話くらいはありましたよ。携帯電話をリビングのテーブルに置いておくでしょう。それが鳴るじゃない? そういう電話を奥さんは見逃さないね。携帯にパッと出て、「もしもし! 誰だぁ?」って怒鳴りつけるや、そのまま「ガチャン!」だよ。それでも収まらないと最後は「バキッ!」。全部で5台だね、奥さんに壊された携帯は。6台目以降は諦めたんじゃないかな。壊しても買い替えるのにお金がかかるし、さすがに根負けしたんだろう。
恨み言は一切ない
そんな夫婦生活だったけど、離婚を考えたことがあるかと問われたら、答えは「全くない」だね。 やっぱり母親の影響を受けてるんだと思う。うちの親父は俺が3歳の時に戦死してる。だから、ずっと親父の顔を知らずに生きてきた。いまで言うシングルマザー。男は妻に先立たれると、耐えられなくなって再婚する人が多い。でも、母親は戦争で未亡人になっても、女手ひとつで子供を育てるじゃない。母子家庭に育ってよかったよ。母親が先に逝ってたら、血の繋がらない母親と暮らすことになったんだろうしね。やっぱり女性は強いですよ。男なしでも生きていける。 それを身に沁みて分かってるから、どうしても年上の強い女性に惹かれるんだ。しかも、こっちは学のない野球選手でしょう。世渡りもできなければ、冠婚葬祭のマナーも何も知らない。野村から野球を引いたらゼロなんです。そういう自覚があったからこそ、奥さんに出会った時は衝撃を受けた。子供を2人も抱えながら世間と対等に渡り合うなんて、こんなにしっかりした女性がいるのかって。 確かに、彼女は何かあると黙っておれないし、じっとしていられない性格だからトラブルも多かったよ。テレビで「サッチーブーム」だとか騒がれた時期があったじゃない。分も弁えんで選挙に立候補までしてさ。奥さんが政治家になるなんて夢にも思わなかったけど、小沢一郎さんが自宅まで足を運んで「お願いします」と言うんだから。今となっては、余計なことに手を出したな、と思いますけどね。