阪神・西勇輝”激投”6勝目裏に「エース失格」声への反発心…「見ている人全員が2点取られるだろうなの雰囲気だったので」
三塁側へのボテボテのゴロを自らマウンドを駆け降りてさばくと躊躇することなくホームへ送球。 「ゴロゴー」で飛び出た走者を挟殺する見事なフィールディングだった。二死を取ってからも、油断することなく、大和をインサイドへのチェンジアップでレフトフライに仕留めた。ここでも梅野のサインにクビは振らず、3球目に内角をえぐったシュートが効いていた。 「死ぬ気で投げた。なんとかゼロという思いだった」という。 横浜DeNAの坪井打撃コーチがチームに授けた西対策は、「シュートピッチャーでコントロールがいいので、厳しいコースは無理にいかないこと。打席の立ち位置を変えたり、考えを明確にし覚悟を持って打席に向かってほしい」というものだった。 宮崎、大和は、その指示を守っていた。だが、18.44メートルの駆け引きの中で、バッテリーの配球の妙とエース復権を狙う西の気迫が上回ったのである。 西は3回、5回と2度、先頭打者の8番・戸柱にヒットを打たれ出塁を許した。だが、続く大貫に2度バントを失敗させた。3回は高めのフライゾーンへのストレートで一塁への小フライ。5回は追い込み、スライダーでバントを空振りさせた。 三浦監督が、試合後「ノーアウトのランナーをいかせなかった。バントミスもあった。(点を奪えなかったのは)そういうところだと思う」と悔やんだが、防いだ西が一枚上手だった。 ”エース失格”の烙印を押されていた。 元ヤクルト、西武監督の“大物評論家“広岡達朗氏は、THEPAGEの記事内で「オリックスでぬるま湯につかり、勝ち方を知らない西は、エースとは呼べない」と強烈な批判のコメントを残したが、それは決して少数意見ではなかった。
通算100勝に王手をかけながら7度も足踏みし、9月10日の広島戦でようやく達成したが、今度は寝違えを訴えて登録抹消。9月24日の巨人との大事なV争いの先発を任されたが、わずか3回で5失点KOされ、30日の広島戦でも7回を投げ切ることができず4失点して勝てなかった。負けられないマウンドで、ことごとく期待と信頼を裏切り、5勝9敗と負けが先行してきたのだから”エース失格”の烙印を押されても仕方がなかった。 西自身にも「チーム一丸となって戦っている試合の中で自分が今まで全然、力になれていなかった」との自覚があった。 屈辱のレッテルをはがし、エースの称号を復権させるためには、もう後がなかった。 「コントロールが良かった。要所で低めに投げきることができた。長打を打たれにくい配球でよかったなと思っている」 7本のヒットを打たれたが、長打は牧に許した二塁打1本だけ。それこそがエースの仕事である。 キャッチャーのサインに何度もクビを振り、うまくいかねば、他者に責任をおしつけるような仕草も、この日は見られなかった。 その懸命な西の姿が守備陣に伝播した。 3回二死一塁から糸原が一、二塁間を抜けそうだった佐野の強いゴロに飛びついてアウトにした。6回には、先頭楠本の左中間を襲う大飛球に近本が追いつきグラブに収めた。 「先頭をよく出したが、仲間の守備といい、梅野のリードもそうだが、みんなで勝てた勝利だと思う」 西もチームメイトに素直に感謝の意を示した。 淡々と心のこもった口調だった。ここでも、コメントが上滑りするような“いつもの西”ではなかった。 西の気迫と決意は、及川の連投を考慮して7回に起用されたアルカンタラ、そして岩崎―スアレスの勝利方程式へと受け継がれた。7回の一死満塁、8回の一死三塁と決定的なチャンスをことごとく潰す嫌な流れのゲームを守り勝ったのである。 前日、60打席ぶりにヒットを放ち、長いトンネルを抜けかけた佐藤は、打撃フォームに少しテイクバックを作る修正をしていたが、3打数ノーヒットの2三振とさっぱりで、まだボールを待つ準備を打席内で作ることができていなかった。8回無死二塁のチャンスには“ピンチバンター“の島田を代打に送られた。負けていれば、またそこがクローズアップされるところだったが、西の力投が、その問題点もカバーした。 矢野監督が言うところの「私たちの野球」「全員、一丸野球」である。 西も「(この勝利は)自分が導いたわけではない。この関東遠征が大事になっていくと思う。みんなで一丸となって戦っていきますので、温かい応援よろしくお願いします」と、そのフレーズを使って虎ファンに呼びかけた。