日本の「すしロボット」が、なぜ海外で売れる? 高級すし店の大将が「無限の可能性」を感じたワケ
すしの大衆化を目指す
鈴茂器工は、1961年に現鈴木社長の父である鈴木喜作氏によって設立。当初は、お菓子の製造機器メーカーとして営業しており、もなかの自動あん充填(じゅうてん)機などを製造していた。 しかし、喜作氏は日本人の食生活が欧米化し、パンや麺のような小麦を使った製品に主食がシフトしていく状況に危機感を覚えた。1970年代から減反政策が推進される中、日本人の米離れに歯止めをかけ、米食の普及と拡大に貢献するべく、すしロボットの開発に乗り出した。 喜作氏自身もすしが好きで、それが開発の動機になった。 1981年に初号機の「江戸前寿司自動握り機」を開発。そして、すしロボットの普及とともに、日本全国に回転すしが広がっていくのだ。 「すしをいつでもどこでもおなか一杯」を実現するのが、鈴茂器工の使命。今の子どもは、すしは回っているものと思うようになっている。喜作氏の抱いた「すし大衆化」の夢は実現したといって良いだろう。 現任の3代目、鈴木社長は「職人の握るすしと、同じ品質のシャリ玉をつくりたい。今も当時も課題は同じ」と語る。 鈴茂器工とはっこくの接点は、鈴木社長が同店の大ファンだったことだ。 はっこくは、築地(現・豊洲)のまぐろ仲卸・やま幸経営「鮨とかみ」をミシュラン1つ星に導いた、佐藤氏が2018年に独立して開業した新進気鋭のすし店。佐藤氏は外食企業のグローバルダイニングでサービスマンとして働いた後、25歳ですしの修業に入った異色の経歴を持つ。 当初、佐藤氏は「すし職人には見えないし、業界人しか分からないような専門用語も交えて客席で話をしている。何者だろう」と怪訝(けげん)に思っていたという。 ある時、同行していた同社の谷口徹副社長が、ふと自分たちの素性をばらしてしまった。そこから、両者の意見交換が始まった。鈴木社長は、佐藤氏を自社製品展示会「スズモフェア」に招いた。 スズモフェアを見学した佐藤氏は、「まるでディズニーランドのようだった」と、夢の国に来たように感じたという。これまで、すしロボットには縁遠かったが、説明を聞き、実際に体験してみて、すしの世界観が一気に広がったそうだ。 はっこくのすしは赤酢を使ったシャリに定評があるが、佐藤氏が同イベントの2回目に参加した際には、その独自のシャリを持ち込んだ。 佐藤氏は、エスキューブを海外でのイベントに持ち込みたいと考えている。 「はっこくのように、カウンターで6席とか8席とか、限られた人数のお客さまに握る時は、すしロボットは使わない。ところが、海外でイベントを実施する際は、大人数で行って握らないとたくさんの来場者にすしを提供できなかった。これを持っていくだけで、イベントに参加する職人の数を抑えられ、無限大に可能性が広がる」 現地のスタッフと打ち合わせをして、仕込みをしっかりして、仕上げにエスキューブで握れば、何の違和感もなくはっこくのすしを体験してもらえると考えている。 エスキューブのシャリ玉について佐藤氏は「ちょっと握り直しは必要だが、全然あり。握りを人に教えるのは本当に難しいが、これはシャリのふんわり具合がしっかりできている」と指摘。シャリ玉に合わせた魚の切り方など微調整は必要なものの、全く問題ないとしている。 佐藤氏がケータリングを受注する際には、短時間で大量に握らなければならない。人手不足の解消にエスキューブが活躍してくれそうだと、佐藤氏はすし店の目線から語った。