「日本企業の成果主義、なぜ失敗ばかりなの?」 経営学者の回答は
成果主義が意味するもの
実際のところ、成果主義の定義も、研究によってそこそこばらついている。そのうえで、いくつかの文献が挙げる定義の「最大公約数」は、次のようなものになる。 1.賃金決定要因として、成果を左右する諸要因(技能、知識、努力など)よりも「結果としての成果」をより重視する 2.長期的な成果よりも「短期的な成果」を重視する 3.実際の賃金に「より大きな」格差をつける それぞれ確認しよう。まず、結果を重視するという点だ。ここで気をつけないといけないのは類似の概念との混同である。たとえばこれらの条件に則(のっと)ると、「能力主義」は成果主義ではない。「その人の能力を評価する」と言ったとき、能力には潜在的なもの、つまり今は不十分だけどここから伸びそうですよね、みたいな意味も含むはずだからだ。 ちなみに、成果主義は旧弊的な日本的経営を否定すべく流行したものである。その否定対象となったのは、主に年功主義と「職能資格制度」つまり能力主義である。つまり成果主義は、能力主義を否定すべく浮上した制度ともいえるのだ。「本当の成果主義」には、資格とか熱意とか潜在能力とか、そういうものを含まないのであって、能力と成果を混同してはいけないし、能力主義と成果主義は似て非なるものである。 次の条件が時間軸である。富士通のケースと同様に、成果主義は比較的に短期での成果、長くとも1年程度の成果を測ろうとする志向をもつ。短期の成果をみようというのが、通念的な成果主義なのだ。 余談だが、学者の成果を単年ごとに測ると言われたら、少なくとも筆者は「ウッ」となる。主な成果指標となるだろう論文は「投稿」から「掲載」まで1~2年かかることが多く、成果を出せるタイムスパンが不透明だからだ。ゆえに、ある年には1本も出せてない人が翌年に2~3本出す、みたいなこともザラである。なんにせよ、短期間で成果を測ることには業種や職種ごとの向き不向きがあるのは間違いない。