「日本企業の成果主義、なぜ失敗ばかりなの?」 経営学者の回答は
それ、ほぼ成果主義じゃない?
そして条件の三つ目として、その成果は「より大きい」差に繋(つな)げられる。話をややこしくするようだが、広義の成果主義、つまり成果が報酬に連動するという意味では、別に年功序列賃金ですら成果主義の要素がないわけではないし、両者は矛盾しない。勤続年数や昇進などによって賃金が決定されるからといって、別に成果を無視しているわけではない。 たとえば経営学者の高橋伸夫は、日本企業は実質的に成果主義を採用してきたとすらいえると主張する。日本企業において主に報酬の差がつくのは、実は「年功」よりも「昇進」であったからである。 つまり出世するかどうかが、待遇の分かれ目なのだ。そして昇進に最も関わるのは、年功以上に「成果」なのである。昇進する人はだいたい年功を重ねているけど、特に大企業では年を取りさえすれば昇進できるわけではない。成果が要るのだ。 会社で成果を挙げていればそのうち評価されて昇進できるし、成果がなければ昇進できない。年数を重ねれば明白に差がつく。高橋曰く「同期」をみるとわかる。同期つまり同じ年功を重ねた同士の給料に大きな差があることは、伝統的日本企業でもよくあることである。それを成果主義と言わずして何と言う、という主張だ。 この高橋の議論には能力(職能)主義が含まれており、また短期的成果を対象としていないという意味では「条件」に当てはまっておらず、(狭義の)成果主義とはよべない。ただ特筆すべきは、年功主義・職能資格制度を採用してきた企業が社員の「成果」を無視しているわけではなく、むしろ成果も重視して報酬を決定してきたという事実である。
そもそも年功主義ってあったのか
人的資源管理論を専門とする経営学者・江夏幾多郎の指摘は、さらにどんでん返しである。そもそも日本企業は年功主義をとってきたわけではない、それはほぼ俗説だ、と言うのだ。日本企業は戦後間もなくから職務の軽重に応じて職階を与え、職階に課せられた役割を果たしたかどうかで昇進や昇給を決めるという制度をとってきた。年功の昇給もあるのだけど、重きを置くのは職務である。江夏はこれを職務主義と呼んでいる。 この主張は、高橋と軌を一にする部分もある。要は、報酬は成果「だけ」、年功「だけ」、職務「だけ」で決まっているわけではなく、どのウエイトが大きいのかという話をしているわけである。年取った「だけ」で高い給料を貰(もら)えるわけではないのだ。 年功と成果・職務には相関があることも見逃せない。そもそも会社で高い成果を出して、良い職務に就きたければ、長い時間がかかる。20代が50代をごぼう抜きするような例もあるにはあるのだろうけど、きわめて稀少であろう。ベテランと張り合えるような力をつけてきた頃には自分もベテラン、なんて当然なのだから。当たり前のように是認してしまっている俗説を疑うという意味でも、専門家の話は聞く価値がある。(文中敬称略) 『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』 経営学はいかに社会の役に立ち得るのか。実学とされる経営学は、科学的な正しさと、一般の人へ伝えるためのわかりやすさとの間で壮大な矛盾を抱えている。伝統的なトピックを題材に、あえて素朴な問いをぶつけてみるという手法から、真に実践的な経営学を考え直す。 舟津昌平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)