能登半島地震で被災しヘリコプターで運ばれ金沢で出産した母子のその後…たくましく生きる家族の物語
能登半島地震の被害を受けながらも前を向く、能登の人々に会いにいく「能登人を訪ねて」今回は輪島市で、地震の20日後に生まれた小さな命を守りながらたくましく暮らすある家族にあってきた。 被災してもなお、たくましく生きる家族
能登半島地震で被災した直後に生まれた新たな命
輪島市気勝平(けかちだいら)町、閑静な住宅街だ。能登半島地震で被災し、今は、仮設住宅で暮らす親子がいる。母親は地震の後、新たな命を授かった。この親子の8カ月半の奮闘を振り返る。 輪島市内の仮設住宅で暮らす谷内さん家族。笑顔で迎えてくれたのは、日菜羽(ひなは)ちゃん。1月21日に生まれた赤ちゃんだ。 稲垣アナウンサーが「お久しぶりです」と声をかけると答えてくれたのは母親の谷内未有さん。「いやぁー、大きくなって…あれ?ちょっと待って…人見知り?」お邪魔した稲垣真一アナウンサーとは面識があるはずだったが、日菜羽ちゃんはちょっと人見知りな時期だった。
ガレージに2日間…その後ヘリで金沢へ
元日の能登半島地震、谷内さん一家は、輪島市三井町にある夫の実家にいた。実家のガレージが無事だったことから、そのガレージで布団を敷いて2日間過ごしたそうだ。 身重の未有(みゆ)さんは、地震から5日目の朝、かかりつけの産科医から「金沢の方で産んでください」という連絡を受けたそうだ。そこから入院の準備をするためにつぶれた自宅に戻り準備をし、金沢にはヘリコプターに乗せられ病院に向かった。 残された夫と長男は、加賀市の二次避難所へ。長女は白山市に集団避難となった頃に、日菜羽ちゃんが無事、生まれた。 稲垣アナ: 一通り全部、家族がある程度の場所が決まったところで… 未有さん: 二次避難所に行って1日しか経ってない間に、出産してという形だったので。
赤ちゃんのおかげで「明るい気持ちに…」
今年6月、稲垣アナが初めて谷内さんの家を訪ねた時、長女と長男が交代で日菜羽ちゃんのお守りをしていた。未有さんがご飯の準備している間も、この2人が見てくれていると言う。未有さんは、日菜羽ちゃんの存在が家族を大きく成長させているようだと感じていた。 長女の音々羽さんは日菜羽ちゃんの存在に「うれしい」と話し、長男の謙心さんも、「地震が起きて明るい気持ちになれないと思っていたが、日菜羽ちゃんが生まれてかわいいから、ちょっとだけでも明るい気持ちになれた」と話していた。 日菜羽ちゃんのおかげで笑顔が絶えない谷内さん一家。そんな中、長男の謙心(けんしん)さんには一つだけ悩みがあった。それは、仕事が忙しい父の亮介(りょうすけ)さんとなかなか会えないことだ。 謙心さんは野球が大好き。ただ、仮設住宅が増える中、練習場も制限され、決して満足のいく練習はできてい。それでも、近く開かれる大会にお父さんが来られることがわかり練習にも力が入っていた。謙心さんは、「久しぶりに会うけど、活躍して成長したところを見せたいです」と元気よく話していた。