【書評】骨の行方を自分で決める:森下香枝著『ルポ 無縁遺骨 誰があなたを引き取るか』
幸脇 啓子
過去3年半の間に、身元が分かっているのに引き取り手がない死者は10万人を超える。家族や親族が引き取らないこうした“無縁遺骨”の数は年々増え続け、無縁納骨堂にずらりと並ぶ。それはすなわち、家族が死や葬祭を担うというこれまでの日本の姿が限界を迎えていることに他ならない――。
「無縁遺骨」。 まずタイトルに目が留まった。 増え続ける孤独死などを取り上げたNHKの番組をきっかけに、「無縁社会」という言葉が新語・流行語大賞に選ばれたのは2010年のこと。 それから10年以上が経って出版された本書は、焦点を「生から死へ」のタイミングから「死から骨へ」のタイミングへと移す。帯の言葉が胸を突く。 「子どものいない私の骨は 誰が拾ってくれるのだろう。」
身元が分かっていても、遺体が引き取られない
第1章がまた、鮮烈だ。 日本はもちろん、アメリカのドラマでも活躍した大女優・島田陽子さん。がんと闘いながら死の数カ月前まで映画の撮影に臨んだ島田さんは、都内の病院で独り死去。親族にその死は伝えられたものの、遺体の引き取りは拒否され、自治体によって荼毘(だび)に付されていた。 名前や身元がはっきりしていても、どんなに生前活躍していたとしても、遺体の、つまりは骨が引き取られないことがあるという事実は、なかなかにショッキングだった。 孤独な死を迎えるのは、もっともっと、生前から“無縁”──たとえば周囲との付き合いもなく長年独りで暮らしているとか、自らの意思で家族との縁を断っているとか──な人なのかと、どこか思い込んでいたのだ。 自分の死後、身体を引き取ってくれる人がいなかったら……。 そんなことを考えると、胸が苦しくなる。
日本的な埋葬スタイルと現実との乖離
総務省は2023年、死亡時に引き取り手がなかった死者が2018年春からの3年半で約10万5千人いたと発表した。そのうち10万3千人は、身元が分かっているのに引き取られていない。 「身元が分かっているのに引き取られない」とは、民法で遺体の相続人と規定された3親等内の親族(配偶者や子ども、親、兄弟姉妹など)が見つからない、さらには見つかったとしても引き取り、そして葬祭に関わる費用の負担を拒否するケースなどがある。 亡くなる時に見送る家族がいない場合、自治体は戸籍などをたどって相続人を探す。そして相続人が見つからない、もしくは引き取りや負担を「拒否」すれば、法律に則って行政が火葬し埋葬する。その費用は年々上昇しており、1年間に100億円を超えた可能性があると本書は指摘している。 「親とは長年、交流がないので相続は一切、放棄する。葬祭費の弁済も拒否する」 「親が離婚してから何十年も会っていない」 自治体の元に相続人から届いた回答の一例だ。 仮に自分の望む死の形を遺言書として残していても、さまざまな法規制の下で、かなわないことも少なくない。銀行口座は当然として、例えば、家族が手続きをしなければ、携帯電話の解約すら簡単にはいかないのだ。 死を巡る日本の伝統的な考え方と現代社会とには、すでにかなりの乖離(かいり)が広がっている。 家族が死を看取り、親族や友人が葬列に並んだ後に火葬し、家族代々続く墓所に埋葬する。そんな「当たり前」を支えていた家族像は、いまや急速に変化しており、それと同時に、遺骨の埋葬方法も驚くほど多様化している。 亡くなってから骨となり、どこかに埋葬されるまでを、家族が担うのはもう限界。そう本書は伝えてくる。 そして、亡くなる時に意思表示ができなくても、望んだ形で死を迎え、埋葬されるように自治体が終活を支える「エンディングプラン・サポート」や、血のつながりがなくても仲間が集まって送り合う「他人葬」、墓の代わりに樹木の下に眠ることを選ぶ「樹木葬」など、本書はさまざまな死や埋葬のスタイルについて取材している。