全国模試1位「旭川の神童」率いるチームはなぜ伝説の高校生クイズで敗れたのか?…クイズ王・伊沢拓司を追い詰めた“ある公立校”「その後の物語」
今年9月、7年半続いたTBS系の人気番組『東大王』が幕を閉じた。同番組の人気の礎となったのが、「クイズ王」伊沢拓司の存在だろう。クイズメディア「QuizKnock」を設立し、日本にクイズの新たな歴史を紡いだ伊沢の原点は、2010年の『高校生クイズ』優勝まで遡る。 【写真で比較】「あ、あか抜け過ぎじゃない…?」爽やか“クイズ王”伊沢拓司の超予想外な高校時代…「伊沢が恐れた男」“旭川の神童”塩越希と重綱孝祐「極北のナゾの公立校チーム」の高校時代と現在も写真で見る もし同大会で伊沢が敗れていたら――おそらく現在の日本のクイズシーンは全く違ったものになっていただろう。では、同大会で伊沢擁する開成高校が「最も恐れた相手」とはどこだったのか。後のクイズ王を追い詰めた、「極北の公立校」の正体とは? 《NumberWebノンフィクション全3回の3回目/最初から読む》 2010年の『高校生クイズ』準決勝は、ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さんによる「ハッブルの法則と以下の条件を用いて、宇宙の年齢を計算せよ」という物理の問題で幕を開けた。 難問のように見えるが、他に諸条件が与えられているため、立式への動線は示されている。そこができればあとは単純な計算問題だ。準決勝に挑んでいた旭川東高チームは、立式を理系の2年生チームメイトが行い、あとはひたすら3人で検算をした。 結果的に、第1問は旭川東と県立船橋が正解。優勝候補の筆頭だった県立浦和と開成が落とすことになった。準決勝は2問先取で勝ち抜けが決まる。つまり、1問差をつけた時点で、圧倒的に有利な立場になったと言えた。 チームのエースだった塩越希が振り返る。 「割とその時点では浮足立つこともなく、落ち着いて『あと1問だね』という話をした気がします」 続く2問目は諸葛孔明の遺言である「誠子書」を読み解く漢文問題だった。問われたのは、「孔明は志高く学ぶためにどんな心構えであるべきとしているか」。 塩越とチームメイトの重綱孝祐はともに文系で、塩越は大手予備校の全国模試でも全国1位に輝いている。そして、2人とも漢文は得意科目でもあった。それはつまり、ここへきて旭川東の決勝進出がグッと近づいたことを意味していた。 そしてその実力通り、問題文を読み下すことは全く問題なかったという。塩越は言う。 「問題文自体は正直、難しいものではありませんでした」
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