フランク・ロイド・ライトの愛弟子、土浦亀城・信子の自邸は90年前から超モダン!宙に浮くリビングやシステムキッチンや水洗トイレまで完備
2024年の春、竣工時の姿に復原されてポーラ青山ビルディングの敷地の一角に移築された「土浦亀城邸」。 若き建築家夫妻が理想を追求した住まいには、日本の将来の住宅文化を見据えた熱いまなざしが感じられ、「建築美と暮らやすさの両立」が90年前に確立されていました。 【写真集】フランク・ロイド・ライトの影響も感じられる室内も必見!
日本の将来を見据えた革新的な実験住宅
今から約90年前。まだのどかだった東京・品川区上大崎の住宅街に現れた、真っ白な箱のような建物。南側には大きな開口が開けられ、薄い庇がシャープな印象を与えています。土壁や瓦屋根の日本家屋が一般的だった時代に、土浦邸の登場はセンセーショナルでした。 土浦邸は、建築家の土浦亀城と妻・信子の自邸。土浦は東京帝国大学工学部建築学科に在学中に、帝国ホテルの現場の図面製作に携り、卒業後は信子と共にアメリカにわたって、現代建築の巨匠の1人といわれるフランク・ロイド・ライトの事務所で共に働きました。帰国後、1931年に1軒目(品川区五反田・現存せず)、1935年に2軒目のこの自邸を建てています。
当時の世界的な最先端のスタイルを体現
白い箱のような外観は、当時最先端の「インターナショナル・スタイル」を体現したデザインです。これは1920~50年代にかけて流行した建築様式で、白いキュービックな造形、フラットな陸屋根、ガラス張りの開口などを特徴とし、地域や環境などを超えて世界的に共通する普遍的なスタイルをめざしていました。
フランク・ロイド・ライトの影響も感じさせる空間構成
土浦邸の立体的で自由な空間構成も革新的でした。今では一般的となったスキップフロアを採用。道路から斜面を上って玄関に、そこから半階上がるとリビング、中2階を経て2階の寝室まで、間仕切りもなく流れるように空間が連続します。なかでも「土浦邸」たらしめているのが中2階。この1枚の床が挿入されることで延床面積116㎡とは思えないほど住まいの内部には広がりが生まれ、多様な床のレベルが空間にさまざまな魅力を与えています。
自邸ならではのさまざまな試みや工夫が各所に
土浦は木造の軸組みに壁を張り付ける「木造乾式工法」による住宅の工業化にも挑みました。さらに、当時まだ珍しかったシステムキッチンや給湯設備、洋式水洗トイレ、シャワーを備えた浴室など先進的な設備を導入した他、天井にはパネルヒーティングを設置。輻射熱で空間全体を温めようと試みましたが、天井が高かっため、残念ながら充分な性能に至らなかったと数年後に土浦も認めています。 各所に現代の住宅につながる試みや工夫がなされており、日本の住宅文化の礎にするのだという土浦夫妻の強い思いが感じられます。