西アフリカ・ベナンの布“バティック”で、職人も着る人も笑顔にしたい 女性起業家の進む道
洋服のデザインが決まると、ベナンの職人へ発注をかける。このコミュニケーションが「むちゃくちゃ大変」と沖田さんは語る。 「ある製品の試作中、私が指定した色ではない色を彼らが出してきたので、私が『違うよ』と伝えたのですが、彼らは『同じだ』と言い張るんです。なぜ同じ色を見ているはずなのに感じ方が違うのか、はじめの数年間は不思議に思い、苦労していました。でも最近、人によって色の見え方感じ方が違うことに気が付いて、そのせいだったのかな?とやっと少し納得できました。でも、納得は出来ましたが解決していないので、今でも色の調整はとても苦労しています」 このほかにも仕立ての文化などが異なるなど、大変なことはたくさんある。少しずつコミュニケーションをとり、一つひとつ丁寧に作られるバティック。長く愛されるデザインにすることが沖田さんの使命になっている。 「ベナンの職人さんたちは、日本向けにバティックを作っているということを誇りに感じてくれているみたいです。以前、現地で布を販売する際に『紘子の写真を引き伸ばして、のぼりに使っていいか?』と聞いてくれたこともありました。ベナンの伝統をつなげるためにも、AFRICL頑張らないとですね」
ネットで出てこない国だったからこそ行ってみた
そもそも、世界中にあるバティックから、ベナンの布と出会ったのは大学時代。約12年前のことだ。 国際協力の世界に関心があった沖田さん。生まれた場所や環境で人生の選択肢が変わったり、食事や命の最低限のラインが保障されない格差があったりしてはならないと感じていた。 「どこに生まれても笑って生きていける世界に近づけたいと考えるようになって、それに関わる活動や仕事をしたいと思うようになりました」 しかし、国際協力と一言で言っても、どの分野で、どの団体に所属し、どう関わっていきたいのかは模索中だった。そこで実際に支援先となることが多い、いわゆる「途上国」と呼ばれる場所で生活し、現地での課題や支援のあり方、関わり方を見つけたいと思った。 受け入れてくれるインターンシップ先を探し始めたところ、3つのNGOから受け入れOKの返事をもらう。そのうちの一つが、ベナンにあった。 ベナンは国名こそなんとなく聞いたことがあったが、よく知らない。しかもネット検索でも国情報がほとんど出てこない。今でこそ、ネットで検索すればさまざまな情報が出てくるようになったが、12年前は検索候補に、『もしかして……マレーシアの“ペナン”?』と表示される始末であった。 「その国の情報がまったく拾えなかったのです。オンラインで今時情報を拾えない国の一次情報を取りに行きたいと思ったのが、ベナンでのNGOに参加した理由です」 そしてベナンでの生活が始まり、バティックに出合った。ホームステイ先の家族がクリスチャンで、日曜日の教会についていったところ、手染めのバティックで作られたテイラーメイドの服を華麗に着こなす人々の姿があったのだ。ベナンでは正装やおめかしなどの際に着用されており、もともと染め物や織物好きだった沖田さんは心奪われた。バティック布の服を購入し、バティック職人を紹介してもらうなど、どっぷりハマっていった。 当時のベナンは生活インフラが整っていない地域もあり、貧しさこそ垣間見たが、とても豊かで、素敵な文化をもつ国だった。当時は黄色人種自体が珍しい存在だったそうで、沖田さんが日本出身だと言えば、ベナンの人は「日本!知ってるぞ!」と興味を持ってくれた。驚きと同時に、「日本人はベナンのこと全然知らないのに」とむず痒さが後を引いた。