じつは、多くの人が「生命のシステムは1種類」だけと思っている…「地球外生命」の存在をも左右しかねない「驚愕の生命観」
生命と非生命は切り分けられない
小林先生は「生命と非生命のあいだ」を「スペクトラム(連続的)」と表現していました。 小林:「スペクトラム」自体は、もともと光学の分野で用いられる用語です。 日本では、虹は7色だと言われていますが、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、紫、ときれいに7つに区切られているわけではありません。 赤からちょっとずつ黄味が増していき橙になり、更に黄色になり……というように、色と色の間を区切る仕切りのようなものはありません。 生命を「1」、非生命を「0」として、その間に仕切りがある、と考えてみましょう。「0」から「1」を生み出すことは、とにかく難しい、ということがイメージできるかと思います。仕切りを乗り越えて「0」から「1」になるためには、神のような万能の存在を求めたくなります。 私は、できれば神ではなく、化学反応が生命を創ったと考えたい。これは、化学者の性でしょう。 そこで、先ほどの「生命の定義は難しい」という話にも関係しますが「ここまでは非生命」「ここからは生命」というように切り分けて考えるのではなく、生命と非生命のあいだはグラデーションである、とすると面白いかもしれない、という着想を得ました。 進化するに伴い、「0」が「0.01」になり、「0.1」になり、「0.5」になり、、、と次第に生物っぽさが増していく、と私は考えています。これが「生命と非生命のあいだはスペクトラムである」ということです。 生命と非生命のあいだの壁を取っ払うと「地球外生命はいるのか」という議論をする際に、「地球外生命」を定義することも難しくなるのではないでしょうか。 小林:例えば、近い将来、火星で「生命っぽい」ものが見つかったとしましょう。その「生命っぽい何か」の生命システムは、地球生命と同じものである可能性もありますが、違うものである可能性のほうが高いのではないか、と私は思っています。 「生命っぽい何か」は、地球生命ほどしっかりはしていないけれども、自律性を保ち、動くことができる、となった場合、それを「生命」と言っていいのか否か。 私は、それは「地球の『1』レベルの生命よりも低いレベルの生命」ではないかと思います。