じつは、多くの人が「生命のシステムは1種類」だけと思っている…「地球外生命」の存在をも左右しかねない「驚愕の生命観」
そもそも「生命」を定義できるのか
著書『生命と非生命のあいだ』(講談社)には、そもそも生命を定義すること自体が非常に難しい、と書かれていました。 小林:「犬」と言われたら、私たちは的確に「これは犬だ」「あれは犬じゃない」と身近な生物を選別することができます。これは、私たちがたくさんの「犬」の種類を知っているからこそできる芸当です。 地球には、わかっているだけで約175万種の生命が存在しています。未知のものを含めれば生物種は1億を超えるとも言われています。 しかし、その多様な種の生命システムは1種類に限定されます。タンパク質を触媒として代謝を行い、DNAを用いて複製をしています。 つまり、私たちが知る生命システムは1種類のみです。その1種類の生命システムを持つものだけを生命としていいのか、それとも、他の生命システムを持つものも「生命」としていいのか、私たちは知る由がありません。 ここで、代謝と複製の材料という枠を取っ払って、生命の定義を「自律的に化学反応をして自分の身体を作り、運動をするもの」であり、且つ「その過程で自己複製をし、進化していくもの」にしたとしましょう。 すると、ウイルスは生命か非生命か、という議論が生じます。この問題は、長らく多くの研究者の頭を悩ませており、未だに結論は出ていません。 というのも、ウイルスはDNAやRNAからできていますが、自己複製することはできません。他の生物の細胞に寄生しない限りは、増殖できないのです。 自己複製できないウイルスを生命として良いのかという問題に対してすら、私たちはまだ答えを出しかねています。 また、ロバとウマをかけあわせたラバは繁殖能力を持ちません。自己複製する、ということを生命の定義に入れた場合、ラバは「生命ではない」ということになります。 増えるか進化をするか定かではないけれども、自分の身体を維持しながらもぞもぞ動いている「何か」が地球外で見つかったとき、私たちはそれを「生命」とも「非生命」とも判断しかねて、途方に暮れてしまうでしょう。 タンパク質以外の物質を代謝の触媒としている地球生命は、全く存在しないのでしょうか。 小林:少なくとも現段階で地球上で発見されている生命のほとんどは、代謝の触媒としてタンパク質を使用しています。ただ、それ以外の生命システムが過去に存在したとする考え方があります。 1982年に、ある特定のRNAが自己複製と触媒の2つの機能を併せ持つことが明らかになりました。これは、タンパク質やDNAが無くても、RNAのみで代謝と複製が可能である、ということを示唆しています。 タンパク質やDNAという物質ができる以前の時代、地球生命の生命サイクルはRNAのみでまかなわれていたのではないか。これが「RNAワールド仮説」です。 RNAも含め、タンパク質以外の物質を触媒に、DNA以外の物質で複製を行う生命システムのパターンがあっても全くおかしくない、と私は考えています。