「ハリー・ポッターと賢者の石」日本語版出版から25 年 翻訳者・松岡佑子さんインタビュー 「ここまで惚れ込んだ作品、他にない」
今や85カ国言語以上に翻訳されている「ハリー・ポッター」シリーズ。1999年12月1日に日本語版第1巻『ハリー・ポッターと賢者の石』が静山社から刊行されてから、今年で25周年を迎えました。本から映画へ、さらに舞台やテーマパークなど、物語の世界は広がりをみせています。シリーズの翻訳者である松岡佑子さんに、翻訳で心掛けてきたことや作品の魅力などについて話を聞きました。 【写真】松岡佑子さんインタビューカットはこちら
初の文芸翻訳「失敗したら尼寺にいく覚悟で」
――25周年、おめでとうございます。振り返ってみて、いかがですか? ありがとうございます。時が経つのは早いものですね。1998年にイギリスの友人を訪ねたときに、第1巻を勧められて原書を読んだのが出会いです。こんなに面白い物語があるのかと。続きがどうなるのか気になってしょうがなかったですね。第1章を読んだときに、これは私が翻訳して出版しようと決めました。 当時、私は通訳の仕事を主にしていて、技術書や特許知的所有権関係の翻訳をしたことはありましたけど、文芸書は初めてでした。ですので、準備を怠りなくしようと思って、よい翻訳といわれている文芸作品を読みましたし、チームを翻訳を助けてくれる人で固めました。決してあだやおろそかに取り組んだわけではなく、失敗したら尼寺にいく覚悟で、それぐらい情熱を込めて翻訳しました。 ――実際に翻訳をはじめてみて、いかがでしたか? とても難しかったです。簡単なことではなかったですね。言葉のひねりもありますし、非常にイギリス的な言い回しもあります。単に日本語にするのではなく、すっと頭に入ってきて、音読でも黙読でもすっと読めるように心がけました。翻訳をサポートしてくれた人や編集者と週に1度は集まって翻訳検討会議をして、何度も何度も推敲しました。普通の出版社は締切を優先するので時間が限られてしまいますが、自分の出版社でもあるので、十分な時間をかけることができ、第1巻ができあがるまで1年かかりました。印刷所に出す前日の晩も、編集者と泊まり込んで、夜明けのコーヒーを飲みました(笑)。そのぐらい練りに練った翻訳でしたね。 ――それだけ熟考された1冊は、日本でも大人気になりました。予想はしていましたか? 思っていなかったというか、人気になるかならないかはあまり気にならなかったです。当時、すでに世界中で人気になっていましたし、特にイギリスとアメリカではものすごい部数が出ていましたからね。それをたった一人でやっている小さな出版社に任せてくれたJ.K.ローリングのためにも失敗はできない。日本でもベストセラーとは言わないまでも、恥ずかしくない売れ方をしないといけないとは思いました。そのためにも一番大事なのは翻訳だろうと、心と情熱を込めて、周りの人から助けてもらって、第1巻を仕上げたつもりです。 自分が携わった本が売れるというのは初めての経験でしたが、嬉しいことですね。はじめは一般書として出したのですが、児童書扱いの書店が多く、お店の奥の方に置かれていたんですけど、だんだん売れてきて目立つところに(笑)。売れてからは、注文の電話が毎日ひっきりなしにかかってきました。マンションの1室で、3台の電話をキャッチフォンで6台として使えるように増やして、電話に飛びついていました。 ――原作とは表紙が全く違いますね。日本語版は、作品の世界観が伝わってきてとてもすてきです。 最初に原書を紹介してくれた友人のダン・シュレシンジャーが描いてくれました。ダンは弁護士をやめて画家に転向したのですが、自由奔放にイメージを膨らませられる人です。でも、本の表紙を描くのは初めての経験だったので、私もいくつかダメ出しをしましたし、完成まで苦労しました。あるベストセラーメーカーに意見を聞いたら、この絵では売れませんよって言われたんですが、その意見を無視して、これで行こうって決めて、結果としては売れましたね。この表紙の絵を見て買ってくれたという読者もずいぶんいます。