元パラ水泳日本代表・一ノ瀬メイの原動力とは? 「家族が『面白いチャレンジだったね』と言ってくれるからこそ、私は前に進める」
一ノ瀬メイさんは、生まれつき右肘から先がない先天性右前腕欠損を持ちながらも、1歳半で水泳を始め、史上最年少の13歳でアジア大会に出場。2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは8種目に出場し、現在も7種目の日本記録を保持。 【動画】「モデルとしてもさらに成長していきたい」ヨーロッパ滞在中の元パラ水泳日本代表・一ノ瀬メイさんの様子 現役引退後も、スピーカーやモデル、企業とのパートナーシップなど、さまざまな分野で活動の幅を広げ、さらに東京レガシーハーフマラソンには2年連続で出場するなど、挑戦し続ける姿勢が輝いている。そんなメイさんが、常に新しい挑戦へと向かっていけるその原動力とは、どこにあるのだろうか。
「家族が私の挑戦を支えてくれているんです」
「家族は結構面白がってくれるタイプで、初めてハーフマラソンに挑戦する時も『走れるの?』と驚かれたんですが、それでも一緒に面白がって応援してくれるんです。水泳の時もそうでしたし、スピーチコンテストに挑戦した時も、家族はすごく楽しんでくれていました。結果がどうであれ、失敗しても『おもしろいチャレンジだったね』っていう雰囲気で見守ってくれるんです。私もできるだけ失敗を見せたくない気持ちはあるんですが、家族がそうしてポジティブに受け止めてくれるおかげで、失敗を恐れずに挑戦できています」
「母と一緒に二人三脚で歩んできた」
「私が9歳の時、両親が離婚して、それ以来ずっと母と二人三脚で過ごしてきました。だから、私たち家族の形は一般的なものとは少し違うかもしれません。二人だけでやってきたからこそ、時にはすごく仲が良い時期もあれば、逆に距離を置く時期もありました。母は私にとって本当に大きな存在です。私が水泳で競技に取り組んでいる時も、きっと期待はしてくれていたと思いますが、それを表に出さず、私が自分で決めたことに対しては常に自由にやらせてくれました。『やりたければやりなさい』『やめたければやめなさい』と、どんな選択にもプレッシャーをかけずに、ただ見守ってくれるんです』。母のそんな姿勢に支えられているからこそ、自分で考えて行動することを大事にできていて、それが本当にありがたいと感じています」 彼女の言葉ひとつひとつには強い説得力と意志が込められていて、聞く人に自分自身を見つめ直すきっかけを与える。その背景には、これまでの環境の中で培われた、自分で考え、選択する力がつながっているのだろう。