日体大、箱根駅伝19位の大敗から総合優勝までの逆転劇。別府健至監督が行った改革とは?寮での生活からキャプテン任命方法まで見直して
◆反骨心から生まれた復活劇 服部は「僕たち選手は日体大の伝統の重みを知っていたし、多くの関係者の期待も肌で感じていた。先輩方がつないできたたすきを途絶えさせるような『あんな悔しい思いはしたくない』という思いが結実したレースだった」と力を込める。 予選会からの総合優勝は1997年の神奈川大以来16年ぶり。前年19位からの頂点は、途中棄権から優勝した神奈川大を除けば、過去にない下克上となった。 別府は、その快挙を振り返って思う。 「いろいろ要因はあったと思う。選手が一つの方向を見て、服部を中心にしてまとまったこと。油断や慢心をなくして普段の生活から陸上に集中したこと。でも、やっぱり一番大きかったのは『何くそ』という思いじゃないかと思う。どん底にたたき落とされて、石にしがみついてでも見返してやるぞ、という執念。それが人間にとって一番大きい」。 名門校の復活劇は反骨心から生まれた。 ※本稿は、『箱根駅伝-襷がつなぐ挑戦』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
読売新聞運動部
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