日本における「犬の売買」はどうあるべきか? 明治以降のペットショップ文化の歴史
近年、「動物の福祉」に対する認知が広がり、世界的にみれば動物の生体販売を禁止する国も増えてきた。そのなかで異色なのが日本のペット市場である。この問題を真剣に考えるためにも、その前提となる知識として、日本という国でなぜペットショップ文化が生まれ、どのように拡大してきたのか、その歴史を辿ってみることも大事かもしれない。 ■明治維新以降に広がった犬の売買 最近、何かと話題になることの多いペットショップだが、そもそも日本における犬の市場はどのように形成され、ペットショップはいつ、どのように登場したのか。 明治維新まで、犬は市場経済とは無縁の存在だった。犬はいつもその辺にたむろしているもので、飼うにしても拾ってくるかもらってくるものだった。そんな日本に明治維新が訪れ、横浜から洋犬が入ってくる。 きれいに手入れされて家の中にも入り、飼い主と一緒に散歩する姿を見て日本人は目を見張った。縄文時代から共に暮らしてきた日本の犬は、いきなり駄犬扱いになった。その頃の様子を、大正6年(1917年)に創刊された初の愛犬雑誌『犬の雑誌』に、朝寝坊というペンネームの人物が書いている。 最初にブームになった洋犬はポインターだったという。横浜在住のイギリス人が十数頭のポインターを本国から輸入し、名家がそれを譲り受けて飼い始めたのである。「その血が広まって、一時は洋犬と言えばポインターでした。日露戦争の頃まで、日本の飼育犬はポインターが中心でした」 そのうち、やはり横浜に住むイギリス人が、本国からセッターを輸入して飼い始めた。最初は目を引かなかったが、その犬が行方不明になったのである。すると、そのイギリス人は「見つけてくれたら数百円の謝礼金を出す」という新聞広告を出したのだ。 それを見た日本人は、そんなに価値の高い犬なのかと驚いた。そして、その犬が見つかると「種をもらいたい」と押しかけたのである。イギリス人は断ったが、日本人たちは何とか犬を入手しようとした。 当時、いい犬はほとんど横浜の外国人宅で飼われていた。だから犬を求める者は、その外国人宅に雇われているボーイやコックと交渉して、生まれた子犬をもらい受けたり、物々交換などで入手した。洋犬を入手するために、あらゆる手段を講じたのである。 こうなると、やがて両者を仲介するブローカーが現れる。そこから犬の販売業者が生まれてきた。これらの仲介者は当初、他に生業を持ちながら仲介を副業にして、注文を受けると犬を探し歩いた。夜に雌犬を庭に投げ込み、妊娠したら回収することもあった。 やがて、東京から買い出しに来る人間が増えてくる。そこで業者間に競争が生じ、評判を上げるために良い犬を選んで買い集めるようになった。彼らが専業の業者になるにつれて、流通の仕組みが出来上がっていったのである。 日清戦争前になると、のちに関東畜犬組合を結成する上田辰太郎が、成り行きでペットショップを開店し、通信販売も始めた。上田は、近所の人からもらった雌の猟犬が子犬を生んだため、それを知り合いに分けているうちに、代金を払うから分けてくれと頼まれるようになったのである。 ■日本初の本格的なペットショップが誕生 日清戦争の勝利で意気上がる明治30年(1897年)には、日本初の本格的ペットショップ、大日本猟犬商会が誕生した。経営者は、ヒゲタ醤油創業三家の一つである田中家の一員、田中友輔だった。 田中は溺れているところを愛犬に助けられて感激、ヒゲタ醤油の経営から退き、犬の世界に飛び込んだのである。事業は順調に推移し、東京畜犬展覧会を開催するなど、犬界の中心的存在となっていく。 田中には息子が2人いて、長男の浅右衛門は犬にのめり込む父親を反面教師にして、銀行員となる堅実な道を選んだ。事業を継いだのは、父親譲りの愛犬家だった次男の浅六だった。浅六は店を拠点に愛犬家のネットワークを構築、商売抜きのペット普及活動にも取り組んだ。 やがて千禄と改名し、犬界に格好たる地位を占めるようになると、かねてよりの念願だったドッグショーを開催しようとする。しかし、夫に続き次男まで犬道楽にのめり込むことに困り果てていた母親が猛反対。父親の友輔も、「展覧会より雑誌で犬の普及を図ったらどうか」と勧めた。 そこで店を日本畜犬協会に改組し、活動の第一歩として日本初の総合愛犬雑誌『犬の雑誌』を創刊したのである。冒頭には創刊の趣意として、立派な哲学が掲げられていた。 いわく、欧米各国には愛犬クラブのような団体があって畜犬の愛護改良に努め、総裁には王侯貴族が就いている。それなのに我が国には未だそういう団体がない。それを「遺憾に思いまして各方面の愛犬家諸氏のご賛同を得、ここに生まれたのが当協会であります」 これが「全国の愛犬から非常な歓迎を受け、予期以上の好果を納めております」とある。さらに賛助金が一定額に達したら、犬の品評会を開きたいと抱負を述べている。 その下に、すでに賛助金を出した人々の名前が並んでいた。侯爵岩倉家をはじめとする華族、横浜正金銀行の幹部、弁護士、医学博士などの錚々たる顔ぶれである。 この『犬の雑誌』は、東大の明治新聞雑誌文庫に実物が所蔵されているが、デジタル化されていない。そのおかげで、紙媒体ならではの時代感が味わえる。 中身も立派なもので、欧米の犬界最新事情のほか、今の時代にも劣らない動物愛護論が掲載されている。恵まれた層に限られていたとはいえ、大正時代の知的水準には驚かされる。大正は改良の時代でもあり、社会を向上させるための議論が熱心になされた。 一方ペットショップは、大日本猟犬商会に続き東京養犬場、鳥政畜犬店などが開店。そこで働いていた店員が独立して店を構えるなど、大正時代にはすでに相当数が存在していた。 そんな犬業界も昭和の戦争で壊滅状態に陥るが、やがて立ち直る。昭和30年代にはフィラリアの予防体制が整い、戦後復興とそれに続く高度成長でペットブームが起こる。ブリーダーも生産頭数も増えていった。 そして、昭和50年代に入ってペットブームが頂点に向かう中、大量の犬を流通経路に乗せるため、オークションが始まる。かくして犬は、全国のペットショップに並ぶようになったのである。 しかし今、社会経済状況と人々の意識変化で、犬をめぐる環境全ての見直しが進んでいる。需要に沿って発達してきたペットショップも、明らかに転機を迎えている。 一方で少子高齢化その他の事情により、犬の数は減りつつある。業界が誕生してから1世紀半、これからどうやって犬の数を維持しつつ、人間との理想的な関係を構築していくか。日本人の知恵が問われている。
川西玲子