「この子は死ぬために生まれてくるの?」治療を放棄されるトリソミーの赤ちゃん…医師がみた家族の選択
「ただ生きていてほしい」
ですが、やがて希ちゃんの心臓の働きは徐々に弱くなっていきます。命の炎が揺らいでいきます。夫婦は最後の瞬間まで諦めることはありませんでした。希ちゃんの命は、夫婦の想いによって支えられていると言ってもよかったのです。 「親が子どもに教わる」とか、「子どもによって親は親にしてもらう」という言い方をよく聞きます。だけど、子どもというのは、小さい頃は親によって無償の愛で守られるもので、親の足りない部分を子どもに補ってもらうというのは少し違っているのではないかと笑さんは考えました。 子どもから親が何かを学ぶ……もちろんそれはすばらしいことでしょう。でも、子どもはただ生きているだけでいい。希ちゃんから学ぶものが何もなくてもいい。希ちゃんからたくさんのものをもらったけど、「そんなことをしなくてもいいんだよ」と、笑さんは声をかけたくなるのでした。 夫婦は、希ちゃんの病気を治し、家族揃って暮らしたかったのです。ただ、生きていてほしい、それだけが二人の願いでした。 2歳10カ月で希ちゃんは短い人生を終えます。 生まれからずっと闘病の連続だった希ちゃん。在宅での生活も経験したし、家族揃っての散歩も経験しました。満開の桜も見に行きました。七五三のお祝いに神社にも行って写真も撮りました。 闘病を通して笑さんは、医療者たちの献身的な力添えに深く感動しました。そして自分も人の役に立つ人間に、社会の役に立つ人間になりたいと誓いを立てます。1日でも時間をむだにしないで、意味のある毎日を過ごしていきたいと心から願いました。
「奇跡」という言葉を使った理由
選択の連続だった夫婦は、最後の決断をします。それは障害を持って生まれてきた赤ちゃんを特別養子縁組として我が家に迎え入れることでした。それが利他的に生きようとする夫婦の選択だったのです。 他人が生んだ子ども、それも障害のある子ども。そういう子を受け入れる夫婦の決断に、私は心を揺さぶられました。そしてこの夫婦であれば、きっとその子を立派に育てていくだろうと確信しています。 希ちゃんを授かったことも、特別養子縁組で障害のある赤ちゃんを迎えたことも、奇跡のような出会いではないでしょうか。そしてこの出会いを通して家族の形ができていきます。家族とは何だろうかという問いに対して一つの答えを示すことは、今のこの時代にとても重要なことだと私は考えるのです。 そのきっかけになればと思い、本書を執筆しました。 [文]松永正訓(医師・作家) 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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