「いいことも悪いことも経験できた」交通事故から4年、桃田賢斗29歳の今 #ニュースその後
25歳のときにまたも試練が襲った。2020年1月、遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれ、運転手が死亡。桃田は全身打撲や右目の眼窩(がんか)底骨折を負った。人生で初めて手術も経験し、回復まで約2カ月もかかった。 この2つの出来事をこう振り返る。 「21歳のとき、競技は競技で必死にやっていたのですが、私生活の部分で甘さがあったと思います。交通事故に関しては、ショックはショックでした。何かの巡り合わせでこういうことが起きてるのかなとか、自分の人生ってこういうものなのかなと。当時は自分にも勢いがあったし、力もちゃんとついてきたところだったので、しんどかったですね」
五輪がすべてじゃないですから
それでも桃田は選手生命の危機から立ち上がり、東京五輪に向けて復活した。 「『神様は乗り越えられない試練を与えない』って言うじゃないですか。何回も心は折れかけましたけれど、やっぱりバドミントンを続けたいという思いが強かった。それに言い訳できないくらい、周囲の人たちがサポートしてくれたのも大きかったです」 しかし、東京五輪では金メダルを期待されながらも、予選ラウンドで敗退した。2019年に史上最多の年間11回優勝を果たした選手が、今も4年に一度の五輪での金メダルからは見放されたままだ。桃田は“五輪”という大会をどう捉えているのか。 「今は『五輪だけが』っていう感じでもないです。本当にバドミントンを楽しくできたら、自分らしくできたらいいなっていうふうに思っています」
桃田は自分自身に強くそう言い聞かせているのではないか。 「(東京)五輪で結果を残せなかったことについては、周りの人たちへの申し訳なさはあります。でも、そこまで固執はしていないんです。もちろん(五輪で)優勝できるに越したことはないですし、4年に一度の大舞台で、一発勝負で優勝するって本当にすごいことだと思います。だから結果を残せる人は尊敬します。五輪に出られなかったらやめるとか、五輪で燃え尽きるとか、そうはなりません。それがすべてじゃないですから」