「いいことも悪いことも経験できた」交通事故から4年、桃田賢斗29歳の今 #ニュースその後
やめどきが分からない
パリ五輪の代表争いがスタートした2023年。桃田は腰のヘルニアの症状が悪化し、「3週間くらい寝たきりで、ラケットは一度も握れなかった。本気でやめよう」と思うまで追いつめられていた。 大会欠場も続いたが、11月の韓国マスターズで2年ぶりに国際大会での優勝を果たすと、12月の全日本総合選手権で2連覇を達成。五輪イヤーとなる2024年は、4月まで続く代表選考レースで最後まで諦めない姿勢を示している。 「やっぱり“自分が楽しいからやってる”が一番強い。そうじゃないとここまで続けられないですよ。正直に言えば、もっとうまくなりたいって思っているんです。自分ができないことを克服して強くなりたい。上を見たらキリがないのですが、だからこそ、やめどきが分からない。ただ、選手としてもう厳しいと思うときは、いつかは来ますし、コーチをやりたいなって思ったら、いきなりやめるかもしれない」
賭博問題や交通事故があった際も、周囲の人たちは「やめてもいい」と言わなかった。 「母からは『自分が納得するまでやりきったらやめていい』と言われたことはあります」 インタビューの途中、桃田の表情が穏やかになった瞬間があった。家族の話をしているときだった。 「いろいろなことがあったけれど、一番支えになったのは両親です。節目に『勝ったね』とマメに連絡をくれるのは本当にありがたいです。それに姉も甥っ子たちの顔も思い浮かびます。ばあちゃんも連絡をくれるんですよ。『元気にしてますか』って。僕、おばあちゃんが大好きなんです」
賭博問題の後に教わった「当たり前のこと」
桃田は激動の20代を経験して、たどり着いた境地があるという。 「自分の行動や言動で、運の強さは変わる気がしています。何もしてないと、いい人にも巡り合えないし、自分がいいことをして頑張ってたら、いい人に巡り合える運も強くなると思うんです。周りの環境って、自分の現身(うつしみ)というか、いいことをしてたらいい人が集まってきて悪いことをしてたらよくない人間関係になる。周りのせいにしないことも大事かなと」 賭博問題の後、「人として当たり前のことを当たり前にする」ことを、2022年まで所属チームの監督を務めた須賀隆弘氏(現・法政大学バドミントン部総監督)から教わった。 「例えば、しっかりとあいさつをする。ゴミが落ちてたら拾う。トイレに行ったときにスリッパを並べる。そうした行動は当然のことなのですが、若いときの自分は意識ができていなかった。当たり前のことを当たり前にするのは、すごく難しいことだと思うので、謹慎していたときの須賀監督の言葉は今も大事にしてます」