「いったいどんな育ち方したんだよ!」夫婦の修羅場の原因になりがちな“ある価値観のズレ”とは
40年前、私たちの親の時代には【子どもがいる世帯は7割】でした。ところが今は【子どもがいない世帯が6割】。社会は大きく変わっているはず? ……と思いきや、給料は上がらないのに物価は上がり、男女の賃金格差と雇用格差はあいかわらず。暗くならざるをえない状況だけど、どうしたら少しでも豊かな人生を送れるのか、家族や友人たちとどう楽しい時間を持てるのか、小島慶子さんと考えていく連載です。 【あわせて読みたい】「論破したら負け!」」夫婦の意見が食い違う時、問題を解決するためにやってはいけないこと
我が子にはこんな大人になってほしい。その意見が夫婦で食い違っていたら
出会った頃には相性バッチリだった二人。食べ物の好みも、好きな音楽も、笑いのツボも怒りのポイントだって同じ。だからきっと上手くやれると思って結婚したのに、ある話になると「いったいどんな育ち方したんだよ!」なんて超絶心ない言葉をぶつけ合うようになるのです。人間らしい心を失わせるその恐ろしい話題とは……そう、教育論です。 我が子には最善のものを! と願うのが親心というもの。自分が受けてきた中でも最高の教育を、あるいは自分が受けられなかった素晴らしい教育を与えてあげたいと切望します。熱心な親は、子どもがまだちっちゃい時から真剣勝負です。どんな言葉がけをするか、どんな習慣を身につけさせるか。 例えばジェンダー平等重視の人なら、配偶者が転んだ息子に「男の子だから泣いちゃダメ」と言ったりしたら「なんてことしてくれるんだ! 思いっきりジェンダーバイアスをすり込むな!」と腹の中で思わず怒声をあげてしまうでしょう。お腹から漏れちゃうかもしれませんね。 あるいは、子ども時代はとにかく自然と触れ合うことが大事と信じている人は、我が子の予定を週末まで習い事で埋め尽くす配偶者に恐怖を覚えるでしょう。でもそれだって「自分は習い事をしたくてもできなかったから」という善意ゆえかもしれません。 子どもの教育に関して「それ、どうかと思うよ」と不用意に配偶者に指摘すると、相手の生い立ちや、下手したらご先祖さまレベルからの否定になってしまいかねません。過去の深い傷を抉って、長い怨嗟の物語を聞かされることになるかも。教育論のずれは、存在否定に直結しかねない非常に危険なものなのです。 教育論と言っても別に難しい話ではなく、価値観や習慣のこと。育ってきた環境とか、身を置いている文化の違いです。だからダメだしされると、生い立ちまで否定されたように感じるんですね。夫婦で一緒に犬を飼っていても、畑をやっていても、きっとそこまで追い詰め合うような議論にはならないんじゃないでしょうか。 我が子にお金の扱いをどう教えるか、性教育はどうするか、食事のマナーは、言葉遣いは……。二人だけで生きている時には「ああ私たちちょっと違うのね」で済ますことができた小さな違和感でも、大事な我が子にインストールされるとなると、見過ごすことはできません。 私の場合は、夫の昔の癖で「よくない」と「おかしな」の多用がどーしても嫌でなりませんでした。このフレーズに何の違和感も覚えない人もいるでしょう。 では、何がそんなに引っかかるのか? この件については、また次回、詳しくお話いたします。