“飛込界のレジェンド”馬淵かの子さん逝く・・・悲願の五輪メダル見届け
2014年 光り輝く“原石”を見つける
そんなとき、JSS宝塚に、地元・宝塚市の小学1年生の男の子が飛込の体験教室にやってくる。馬淵さんは、光り輝く原石と出会った。それが玉井陸斗選手だった。玉井選手に毎日、飛び込みの基礎を教え、小学5年生からは辰巳楓佳コーチ、中学1年生からは馬淵崇英コーチが指導し、玉井選手は世界のトップレベルへの階段をかけあがっていった。
パリ五輪で、ついに夢が叶う
パリ五輪が4ヶ月後に迫った去年4月、馬淵さんは久しぶりに玉井選手に会った。 (馬淵さん)「陸斗、五輪は頑張ったら失敗するねん。いつもどおりしたら勝てるからな。」 (玉井選手)「はい、がんばります」 (馬淵さん)「(苦笑)だから、がんばったらあかんって」 (玉井選手)「はい。いつも通りします(笑)」 60年前の東京五輪で、観客の雰囲気に飲まれてしまった悔しさが、「いつもどおり=平常心が大切」というアドバイスになった。 2024年8月10日パリ五輪、男子高飛込決勝。玉井選手は3位で迎えた最終6本目、大きなプレッシャーがかかる中、難易度の高い技、5255B(後ろ宙返り2回半2回半ひねりエビ型)を完璧に決めて銀メダルを獲得。神戸市内でテレビ観戦していた馬淵さんの長年の夢が叶った。
夢を叶えてからわずか4ヶ月で天国へ旅立つ
パリから帰国した玉井選手は、馬淵さんの元へ駆けつけた。銀メダルを首にかけてもらった馬淵さんは、玉井選手の手を握り、「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう!」と何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。夢の五輪メダルがやっと目の前で見ることができた。しかし、それから数日後、馬淵さんの体に異変が起こる。急に体調を崩し、顔に黄疸がでた。「膵臓がん」だった。闘病生活で入退院を繰り返したが、去年の年末に肺炎にかかり、1月4日、馬淵さんは天国に旅立った。夢を叶えてから、わずか4ヶ月後だった。 選手として叶えられなかった夢を、指導者として50年以上追い続けて叶えた。60年前の東京五輪の“怨念”を胸に抱き、人生の炎を燃やし続けて、最後に手にしたメダル。こどもたちを愛し、愛された馬淵さん。“飛込界のレジェンド”が逝った。 (朝日放送テレビ 東野 裕)
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