過去8年で中国の出生者数が半減…習近平政権が「本気の反一人っ子政策」を宣言
「一人っ子政策」は鄧小平の執念だった
たしかに、今回の「反一人っ子政策」は、「改革開放の総設計師」と呼ばれた鄧小平氏よりも、「建国の父」毛沢東氏を崇拝する習近平主席の気質に合致している。鄧小平氏こそが、「一人っ子政策」を強力に推し進めた張本人だからだ。自身には5人も子供がいたのにだ。 人口は「人の口」と書くように、中国は古代から、食糧増産のために人口増を希求してきた。「人口はまさに財富」(人口就是財富)「人口が増加する国は必ず強くなる」(人口増者国必強)などと言われ、どの王朝も必死に人口増加を図ってきたのだ。最古の人口調査を行った記録が見つかったのは、何と紀元前684年(東周荘王13年)! 「料民(調査人口)1184万7000人」と記載されている。 1949年に建国したいまの中華人民共和国でも、毛沢東政権は、建国時の人口約5億4000万人を、いかに増やすかに腐心した。実際、長く続いた戦乱の世が過ぎ去り、1950年代の中国はベビーブームに沸いた。 ところが、こうした流れに一人異を唱えたのが、鄧小平副首相兼財政相だった。「このまま毎年1500万人も人口が増加していったら、将来国が滅ぶ」と警鐘を鳴らしたのだ。人口大国になると、国民一人当たりのパイが減るので、食糧供給が厳しくなる。その結果、いつまで経っても発展途上国から抜け出せないばかりか、国内が混乱するという主張だ。 この説は、毛沢東指導部に一蹴され、1960年代には年間2500万人以上の赤子が産声を上げた。だが、1976年に毛氏が死去し、鄧小平氏が権力を掌握すると、持論の実現に向けて大きく舵を切った。 1981年に、国家計画生育委員会という強大な権限を持つ「一人っ子政策推進官庁」を設置。翌1982年の第12回中国共産党大会で、「一人っ子政策」を共産党の方針に定め、同年施行した憲法の第25条では、こう明記した。 <国家は一人っ子政策を推進実行し、人口の増加を、経済及び社会の発展計画に適応したものにする> こうして中国は、各家庭が出産する子供の数を国家が決めるという、世界でも稀有な国となったのである。「一人っ子政策」実現のため、全国津々浦々に至るまで、10万人以上もの役人を張り巡らせ、国民に対する監視の目を光らせた。もしある家庭が、二人目の子どもを産もうものなら、憲法その他の法律法規に違反したとして、近隣社会で「村八分」に遭う上に、多額の罰金を課せられた。