田村正和さん死去 「古畑任三郎」など多くの作品で愛される
俳優の田村正和さんが4月3日に心不全のため都内の病院で死去していたことがわかった。18日、マスコミ各社が一斉に報じた。享年77。
数多くの作品に出演 当たり役となった「古畑任三郎」
田村さんは1943(昭和18)年、京都府京都市の出身。歌舞伎や映画などで活躍した二枚目俳優で“バンツマ”との愛称で親しまれた阪東妻三郎さん(1953年没)の三男。長兄の田村高廣さん(2006年没)、弟の田村亮さんと「田村三兄弟」と呼ばれた。 9歳のとき父・妻三郎さんを亡くし、1961(昭和36)年に松竹大船と契約、成城学園高校在学中だったが映画「永遠の人」(木下恵介監督)で仲代達矢演じる平兵衛の息子・栄一役で銀幕デビューを飾った。1965年には「この声なき叫び」(市村泰一監督)で初の単独主演を果たし、66年に大学を卒業するまで学業と俳優活動を両立。なお63年の「花の生涯」から5年連続でNHK大河ドラマにも出演している。 66年にフリーとなったが脇役を多くつとめ、70年に出演した木下恵介企画監修のドラマ「冬の旅」(フジテレビ系)であおい輝彦演じる行助の義兄・修一郎役を好演しブレークのきっかけをつかんだ。60年代後半から70年代にかけては“日本のアラン・ドロン”と呼ばれたこともあるほど、端正なルックスに哀愁を帯びたムードで注目を集めた。72年には「眠狂四郎」(同局系)の主演でさらに知名度を高め、78年の主演ドラマ「若さま侍捕物長帳」(テレビ朝日系)以降は明るい役柄も増えていった。 以後、テレビドラマを主体に着実にキャリアを重ね、84年「うちの子にかぎって…」(TBS系)はコメディドラマ路線の三枚目を演じ大きな転機となる。その後もホームドラマやトレンディドラマなど多数出演、87年の「ニューヨーク恋物語」(フジテレビ系)などヒット作を連発し俳優としてのステータスを確立していった。 また、94年から放送された「古畑任三郎」(フジテレビ系)は和製刑事コロンボ的な存在感で大ヒット、10年以上演じた当たり役で田村さんの代表作の一つになった。 09年にはドラマ「そうか、もう君はいないのか」(TBS系)がモナコのモンテカルロ・テレビ祭でテレビフィルム部門最優秀男優賞に輝いた。また、18年のスペシャルドラマ「眠狂四郎 The Final」(フジテレビ系)は田村さんにとって最後のドラマ出演となった。 シリアスなドラマからコメディまで、幅広い演技で多くの人々に愛された俳優人生だった。 (文:志和浩司)