元巨人ドラフト1位、39歳で高校教師、監督9年目で甲子園出場 東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生
── 今夏の横浜との決勝戦ですが、0対2から2対2になって、2対4と再び勝ち越されましたが、8回裏に三浦誠登選手の同点打と、中村龍之介選手の勝ち越し2点タイムリーで6対4とリードしました。直後の9回表、二死一、二塁と本塁打が出れば逆転の場面。壮絶な決勝戦、どのような心境でしたか。 原 2024年春季大会以降、プレーボールからゲームセットまで「集中力」をテーマにやってきました。とにかく、「感情の起伏をあまり激しくしないように」と指示しました。メンタルの世界では、"ピークパフォーマンス"と呼ばれるベストな状態は、興奮と抑制のちょうど真ん中にあります。 ── 野球はメンタルスポーツでもありますね。 原 この夏、準決勝の向上戦(8回裏に逆転)と決勝の横浜戦で、終盤の集中力で逆転することができました。高校野球は負ける寸前に焦りの空気感が流れて、「行け!」と叫び出す。そうではなく、「(集中しながら落ち着いて)逆転しないといけないんだぞ」と。だからウチは、そういったハイパフォーマンスはなかったと思います。 ── 9回表のピンチの場面では、すでに降板していたエースの藤田琉生投手(日ハム2位指名)が伝令でマウンドに行きました。 原 「落ち着いていけ」と言ってもちょっと無理だと思ったので、「まずアウトを取るぞ!」と。じつはあの時、藤田が「僕が伝令に行ってきていいですか」と言ってきたんです。自分の思いを伝えたかったのでしょうね。 ── 最後はショートゴロに打ちとり、5年ぶり夏の甲子園出場を決めました。「男泣き」の優勝監督インタビューは感動的でした。原先生は「強い相模をつくらなきゃいけないと。やっと、生徒の頑張りによって達成できました」と、"生徒"を連呼していました。 原 学校生活、人間教育の一環として野球部を捉えている部分もあるので、そういう言葉が自然と出たのでしょう。相模高に来た時、「原監督と呼ぶのではなく、先生と呼びなさい」と伝えました。私は教員なので、先生と生徒という立場でいるつもりです。