落合博満43歳「私の時代は終わった」…落合がショックを受けた“23歳の天才バッター”「オレは終わっていた選手なんだ」日本ハムで涙を見せた日
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が3刷重版と売れ行き好調だ。 1996年オフ、43歳になる落合博満は巨人を電撃退団する。「巨人軍vs.落合博満」その後の物語。あまり語られていない日本ハム時代の落合……なぜたった2年で現役引退したのか? 【全3回の中編/前編、後編も公開中】 【貴重写真】見たことある?「幻のヤクルト落合博満」ノムさんと入団交渉する落合博満、「ベンチでキレる」落合&20代落合のカッコイイ発掘写真まですべて見る(30枚超) ◆◆◆
43年ぶりの開幕6連敗
43歳になってもなお、落合には己の技術に対するプライドと圧倒的な自信があった。3月26日、ナゴヤドーム落成記念「サークルKプロ野球トーナメント」の横浜戦、背番号3は9回に代打で登場すると、佐々木主浩の147キロの直球をライト前へはじき返す。ベンチで上田監督に「佐々木なら打てます。出て来たら代打で」と自ら志願してのひと振りだった。 そして1997年4月5日、「四番一塁」で迎えたプロ19年目の開幕戦。慣れ親しんだ東京ドームで、5年連続の開幕戦2安打と結果を残すも、チームはロッテの小宮山悟に完封負け。その後も日本ハムは白星が遠く、さらには10日のダイエー戦で落合が3回の守備終了時に体調不良を訴え、途中交代。福岡市内の病院で診察を受けると、風邪と診断された。結局、日本ハムは東映時代以来、43年ぶりの開幕6連敗とスタートからつまずいてしまう。 打率1割台と低迷する背番号3だったが、「慌てるな。最後は、(強いところが)勝つんだから」という言葉通り、4月16日の西武戦で4打数4安打の固め打ち。この試合を中継した文化放送のゲスト出演のため、東京ドームに駆け付けた信子夫人は、「今年は遠慮してるわね、ガンガン打たなきゃダメよ」とエールを送り、オレ流も左中間フェンス直撃のタイムリーでそれに応えた。
「野手からホームランは初めてだ」
4月18日のオリックス戦では、外野手登録ながらも投手挑戦で話題の嘉勢敏弘から、落合はグリーンスタジアム神戸のバックスクリーン左へ1号3ランを叩き込んでみせた。巨人時代以来、234日ぶりの一発。当時、仰木彬監督の二刀流起用には、行きすぎたファンサービスと否定的な意見も多かったが、移籍後初アーチを打ったオレ流は、投手・嘉勢に肯定的なコメントを残している。 「長いこと野球をやっているけど野手から本塁打したのは初めてだ。でも、いい球、投げるじゃねえか。コントロールもいいし面白いんじゃねえか? ただ練習をどうするかが問題だな」(日刊スポーツ1997年4月19日) やがて落合のバットも日本ハムのチーム状態も上向いていく。4月20日のオリックス戦では、苦手な屋外デーゲームで4年ぶりの2号アーチ。24日のダイエー戦、延長10回裏一死満塁の場面で打席に入った背番号3の平凡な三塁ゴロが、相手のエラーを誘いサヨナラ勝ち。一塁上で落合は年下の選手たちに囲まれ祝福されると苦笑いを浮かべながら、「やっぱりパ・リーグの野球だ。あきらめねえや」とパ初の同一カード3試合連続サヨナラ勝ちを喜んだ。 気がつけば、4月下旬には43歳の四番打者は打率を3割に乗せ、日本ハムも7連勝で勝率5割に戻した。4月30日時点で1ゲーム差の中に6球団がひしめく混パ。16年ぶりの優勝に向けて、「相手はオリックスだけや」と上田監督はリーグ連覇中のライバルを強く意識したが、両チーム間でもうひとつの戦いが、にわかに注目を集めていた。 43歳の落合博満と、23歳のイチローの最多安打争いである。
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