激動のバスケキャリアの果てに、長岡萌映子が選んだ“自分の生き方”。「私たちはアスリートである以前に一人の人間」<RS of the Year 2023>
WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、ラグビーワールドカップ、サッカー・FIFA女子ワールドカップ、世界陸上、バスケットボール・FIBAワールドカップ……数々の世界大会が開催され、多くのアスリートの活躍に心揺さぶられる1年となった2023年。一方で、小野伸二さん、石川佳純さん、岩渕真奈さんなど、長く第一線で競技を背負ってきたレジェンド選手たちが現役引退を決意したことも印象的な一年となった。そこで、結果や勝敗だけではないスポーツの本質的な価値や魅力を伝えてきた『REAL SPORTS』において、2023年特に反響の多かった記事を振り返っていきたい。今回は、波乱万丈のバスケ人生を歩んできた長岡萌映子選手のインタビュー記事だ。 (2023年5月17日公開) =================================
病気の発覚、家族の健康状態の悩み、心労によるメンタル面の不調……。女子バスケットボール界屈指のタレント・長岡萌映子は激動のバスケ人生を歩んできた。それでも彼女は「悲劇のヒロインにはなりたくない」とこれまで頑なに多くを語ってこなかった。“50年に一度の才能”といわれた彼女が直面した多くの試練と、移籍を繰り返したからこそ見えてきた境地とは? (インタビュー・構成=守本和宏、写真提供=ENEOSサンフラワーズ)
前人未到の記録達成後の試練の日々
高校バスケ界最高峰のイベント「ウィンターカップ」決勝で50得点など、前人未到の記録を達成。2012年にWリーグ入りを果たした長岡萌映子(モエコ)。女子バスケ史上、数十年に一度の逸材は、富士通レッドウェーブでその才能・得点力を遺憾なく発揮した。だが、海外挑戦、日本代表での活躍を視野に、2017年トヨタ自動車アンテロープスへ移籍。以降、主力として使われてはいたが、以前のような得点力は鳴りを潜めていく。 その理由は、レギュラー争いに敗れたからか、自らの意思なのか。そして、タイトルに恵まれた彼女が、昨シーズン終了後、ENEOSサンフラワーズ移籍を決断したのはなぜか。高校時代を“ただの生意気な選手だった”と冷静に振り返るほど成長した彼女が、強豪3クラブを渡り歩き、その先に見た光景とは。 あふれるほどの才能に恵まれた彼女は、幸せな人生を送ってきたのか。その激動のキャリアを本人が語ってくれた。