激動のバスケキャリアの果てに、長岡萌映子が選んだ“自分の生き方”。「私たちはアスリートである以前に一人の人間」<RS of the Year 2023>
キャリアで手にいれたもの「自分を隠さず生きていきたい」
僕は、ただただ、さらにモエコに惹かれ、応援したくなった。天賦のスター性を持ちながら、生身の人間であるところに。 「病気や家族のことで、悲劇のヒロインになるのはイヤだし、美談にしたいとも思わないんです。でも、こういうことを経て、“私たちも人間なんだよ”とは言いたい。アスリートだから強い。何をしてもいいじゃない。アスリートである以前に、私たちは人間。どれだけ有名で強く見える選手だってそう。みんな一人の人間なんだよっていうのは伝えたいです」 自分は弱いけど、承認欲求は強く、そこを捨てられないのが弱点だと、自分のことを冷静に分析する、その聡明さに。 「アンチの声に耳を傾けていたら仕方ないけど、自分は特にそこが弱い。承認欲求も強いし、評価は気になるし、心配性。それは今でも弱点だと思いますね。自分が陰に隠れるプレーを始めてから、エースでなくセカンド(2番手以降)に落ちることを、気になりつつ気にしないようにしてきた。自分軸で生きてない感覚があるんです。だから『キャリアのゴールとは何?』の質問に対しては、『もっと自分らしく生きていく』ですね。自分のやりたいこと、信念を持ちたい。自分は自分なんだと、思える器が欲しいです。自分を隠さず生きていきたい。自分が楽しく、自分らしく、後悔のない人生を過ごしたいと、今は思っています」 誰もがうらやむ才能を持ち、飽くなき努力で誰にもできないことを達成してきた長岡萌映子。そんな彼女が望むのは、「自分らしく生きたい」という、ごく普通の願いだ。世間やSNSの声に左右されず、自分を好きになるのは、思いのほか難しいことなのかもしれない。ただ少なくとも、自分を信じ、仲間を信じ、支えてくれる誰かを思って、涙してきたモエコには、自分のことを好きでいてほしい。僕は心から、そう願っている。 長岡萌映子のバスケ人生は幸せだったのか、最後に聞いた。 「一言で言えば幸せでした。幸せばっかりじゃない、むしろキツイことのほうが多かった。でも、だからこそ学べたことは、普通に生きている中では絶対に得られないものがたくさんあった。それは本当に幸せなことで、大きく成長させてもらえたと、人生を振り返って思います。喜びも悲しみも。挫折も含めて」 「セカンドキャリアでは、本当はスポーツ心理学とかを勉強しに、海外にも行きたいんです。自分の人生、これだけすごい波があったから、絶対この経験を生かせると思う(笑)。アスリートも私と同じような境遇の人もみんな、自分をもっと理解して、自分を許し、豊かな人生を送ってほしいと思う。私の経験談を伝えて、少しでもその手助けができればいいなと思っています。もちろん、家族の状態も考慮しながらですけどね」 あと1年か4年か。日本女子バスケ史上、屈指のタレント長岡萌映子の現役生活は終盤に入っている。強豪3クラブを渡り歩き、特別な経験をしてきた彼女。願わくば、その現役生活が最後の瞬間まで、大事な仲間や好きな人たちに囲まれた“幸せな生き方”となることを願いたい。 <了>
[PROFILE] 長岡萌映子(ながおか・もえこ) 1993年12月29日生まれ、北海道出身。WリーグのENEOSサンフラワーズ所属。札幌山の手高校時代に3冠を達成。高校卒業後、2012年に富士通レッドウェーブへ入団し、加入1年目より主力として活躍。2017年にトヨタ自動車アンテロープスへ移籍し、2度のWリーグ制覇に貢献。2022年オフよりENEOSサンフラワーズでプレー。2022-2023 Wリーグ優勝。日本代表としても長年活躍しており、リオデジャネイロ五輪のベスト8、東京五輪の準優勝に貢献。
インタビュー・構成=守本和宏