時代遅れの大阪万博なんてやめたらいいのに――来年90歳、筒井康隆が見る世界、そして日本 #昭和98年
愛妻家として知られ、小松左京夫妻の計らいで見合い結婚をした光子夫人とは、58年連れそう。毎晩の外食も、いつもふたりだ。 「かみさんのためにも長生きしてやらなきゃ。自分が死んだらどうなるんだろうと思いますよ。自分がうまいものを食うことの理由にしているのかもしれないし、その逆かもしれないけども、まあとにかく、ふたりで毎晩、おいしいところに行って。5時開店のお店に入って、食べ終わるのが6時とか6時半とか早い。僕はもう酒は飲まないけど、かみさんは飲みますのでね。シャブリなんかを店で飲むから、帰ってくるなり寝ちゃうんですよ。僕はニュースを見ながら、アイス最中を食べたり、かっぱえびせんをポリポリやったりなんかして。9時頃に寝ようとすると、かみさんが起き出してきて風呂に入るんです。その辺がちょっと互い違いになって、ちょっと具合が悪い。まあ、こっちが我慢しますけど」
あの日中戦争を、もう一回見てみたいと思うことがあります
現在の楽しみは、食事のほかにどんなものがあるのか。 尋ねると、歯に衣着せぬ筒井節が返ってきた。 「いろんなニュースを見て、ちょこちょこ雑文に書いたりしてね。今はウクライナやイスラエルがひどいことになっているから、楽しみと言えば語弊があるけど。はっきり言って、部外者であるからして、面白い。不謹慎だけど面白いね。思いがけない戦闘があったりする。戦争映画が面白いのと一緒なんですよね、結局。自分の身近じゃないから面白いんでね。だけど僕は前の日中戦争を知ってますから。『ニッポン勝った、ニッポン勝った、シナ負けたー』なんて子どもがね、もう大声で喜んでた。それが負けてくると、疎開先の千里山で僕を狙った機銃掃射に2回あったり。もう少しで殺されるところだった。このところ、あの日中戦争を、もう一回見てみたいと思うことがあります。今ならどう思うのかと」
筒井といえば、80年代に表現規制を示唆したSF小説『残像に口紅を』を発表している。1993年、「断筆宣言」をし、3年後にそれを解除。自らを「炭鉱のカナリヤ」に擬えて、「差別表現」、「自主規制」といった表現の自由に関する問題と向き合ってきた。 「だから断筆宣言のときだって、実は怒ってないですよ。面白がってる。断筆している間に、原稿書きためて、ああ、これはあそこに持っていったら高く売れるぞとか(笑)」 ポリコレのさらなる広まりによって、人種差別やジェンダーギャップに配慮した表現がスタンダードになりつつある今、作家として言葉選びに難しさを感じることはあるか。 「今やサラリーマンも、漁師も、トラックの運ちゃんも、それぞれ制約があって、大変でしょうね。僕なんかは、本当に制約のない時代に生きてきた。今だったらえらいことになる。だけど、今、新人作家になったとしても、言葉を控えることはないと思いますね。コロナのときも、『書きづらい』とか、『書いてはいけないんじゃないかと思う』なんて言ってる作家がいましたけど、それなら作家やめたほうがいい。僕は『コロナ追分』なんていうめちゃくちゃなことを書いてましたね。LGBTだって言葉に何か実感が湧かないんで、同性愛なんて平気で書いてますけど。それでも別に、誰にも何も言われないし。もう僕自身が、いわゆる映画のエンドマークに流れる注釈みたいなものだから、みんな許してるんでしょう。もしかしたら、そういうことを平気で書けるのは、僕ぐらいになるのかもしれませんね」