「おじさんの聖地だったのに…」「カフェじゃないんだから」との声も。吉野家の「おしゃれ化」に抱く“モヤモヤ”の正体とは?
もちろん、この2社は「ソロ男性」を、完全に「切って」いるわけではない。ソロ男性の消費と、女性・ファミリー層の消費の両軸を狙っているのが実態であり、「それって、中年男性の排除では?」と勘ぐるのは、筆者くらいだろう。 しかし、一方で難しいのは、こうした新しい需要を狙って、店舗をきれいにしたり、テーブル席を増やすと、これまで1人で来ていたソロ男性がそこに行きづらくなる構造もある、ということだ。 4人がけのテーブル席に1人で座るのは気が引けるが、かといって1人用の席が潤沢にあるわけではない。それに、周りにファミリーがたくさんいる中では、ソロ男性の肩身は狭くなる。積極的に遠ざける意図はなくとも、結果的に足が遠のく人たちも出てくる可能性は、十分にあるだろう。
ちなみに私は『ニセコ化するニッポン』という書籍の中で、こうした店舗空間や値段といった部分に働きかけて、うまく顧客を「選択と集中」できた店舗が強いことをいくつかの例を挙げながら書いている。 ある種、吉野家の方向性はこの時代にマッチしているといえるのだ。 ■牛丼各社が似てきている では、こうした変化は、経営的に見てどうなのだろうか。私は、別にソロ男性が行きづらくなるかもしれないことに異を唱えるつもりはない。それは、経営判断であり、私が口を挟めるところではないからだ。
ただ、単純に思うのは、牛丼チェーン全体の方向性が「似てきている」こと。 ここまで触れなかった「すき家」は当初から、郊外で家族向けの業態を展開していたこともあって、相対的にファミリー層が多い店だった。また、ミニサイズの牛丼や、石原さとみを使ったCM戦略などで、女性客の獲得をし続けてきた歴史もある。もともとが、ソロ男性だけをターゲットにしていなかった。その点、吉野家・松屋とすき家では絶妙に会社のポジションが違った。
しかし、昨今のシフトチェンジにより、牛丼各社のポジションが「すき家」化している。 明るい店内、ファミリーや女性が相対的に多く、いろんなメニューがあってファミレスのよう――。こうしたイメージに各社の店舗空間が収斂されてきている。 しかし、そうなれば当然のことだが、各社の差異は小さくなり、消費者にとってはどこに行っても同じ、となる。「わざわざここ」という動機がなくなるのだ。 特にこうした方向転換が遅かった吉野家は、今さらこのような転換をしても、すき家の先行者利益には勝てない、という見方もある。