偉大な父からの「俺を超えられるものなら超えてみろ」に奮起し早期卒業した市田龍生都 デビュー開催決勝は9車身差で圧勝
【父とひたすら討論】 しかし事はそう簡単には進まなかった。 「自分は先行1本で行くつもりでしたし、なんだかんだ成功できるんだろうなと思っていました。大学の競技のほうでも記録が出ていたので、難なく成功できるという気持ちがあったんですが、やはりプロを目指す競輪選手が集まる場所になると、自分の思った通りに走れませんでした」 大学でトップの成績を収めてきたのに思うようにいかない――。市田は養成所での訓練で苦悩の日々を過ごしていた。しかしこの壁も「自分の殻を破るために必要だったこと」と捉えていた。それを乗り越える手助けとなったのが、父の存在だった。 「自分はこれまで決定的な挫折はなかったんですが、自分自身の成長が楽しみな部分があって、それが理由でうまくいかなくなると、練習のなかで挫折してしまうことがよくありました。『なんで俺はこんなこともできないんだ』、『この意識を持って取り組んでいるのにどうしてできないんだ』と。そうなったときに父は必要な人でした」 これまでも競輪に関して疑問に思ったときには、父と納得いくまで話し合いを行なっていたが、それは養成所でも続いていた。 「養成所では時間は限られていますが、電話をすることはできて、月に1回か2回、1回5分程度なんですが、父と話をしていました。そのときにはひたすら討論していました。『俺は今、先行でこんな感じなんだけど、どうしていいかわからない』と話をして、それについてのアドバイスに対して、『それは違う。それはやった。それも違う。それをやったうえで、それも違うと思う』とずっとやり取りしていました」 自身を「ひとつのことにとことんこだわるタイプ」と分析するほど物事を突き詰める性格。養成所でのわずかな親子の交流の時間であっても、競輪について問答を繰り返した。ぶつけられた疑問に対して父は「最後まで丁寧に答えてくれた」という。 その結果、2024年12月に早期卒業を果たした。本来であれば約11カ月間の訓練の末、2025年3月に卒業となるのだが、それを待たずしての快挙だった。その記者会見で目標を問われると、市田はこう答えた。 「最大の目標は父を超えることで、自ずとグランプリ優勝が、競輪人生の目標になってくるんじゃないかなと思います。当面の目標は早くS級に上がって、より多くのことを学びたいと思います」