「あれ、おかしいな…体が動かない」箱根駅伝“山の神”に抜かれたランナーの悲劇…東洋大・期待の1年生がまさかの大失速、なぜ起きた?
今年も多くのドラマを生んだ箱根駅伝。本稿では、箱根の山を駆け抜けたランナーを取材した『箱根5区』(徳間書店)より、2人の“山の神”に翻弄された東洋大・釜石慶太のエピソードを抜粋掲載します。第83回大会(2007年1月)、当時1年生で5区を任された釜石は、背後から迫り来る足音を感じ取っていた。【全2回の1回目/第2回に続く】 【変わりすぎ写真】「え、あの時の?」“山の神”に抜かれて大失速…悲運の1年生の現在を見る 大平台を、今井正人は走っていた。 北村(聡/日体大3年)と阿部(豊幸/日大2年)を突き離して前を追った今井は、ここ大平台で、2位を走る東洋大学の釜石慶太を8秒差まで詰めた。 少し前を走る釜石は、沿道の反応から、後ろに今井が迫ってきていると察していた。 「スタートしたときは、トップを行く東海大学の石田和也さんと同じくらいのタイム、目安としては81分台で行ければと思っていました。ただ、後ろに神がいたので、この差だといずれ詰められるだろうとわかっていました。今井さんが後ろから来たときは、静かにサーッと抜かれて。来るぞ、来るぞではなく、風のように抜かれたんです」 ルーキーの目には、中学生のなかに大学生が走っているくらいのレベルの違いがあるように見えた。
5区は「職人」が走るイメージだった
釜石は、宮城県の仙台育英学園高校から東洋大学に進学した。都大路を制するなどの経験から、箱根駅伝の強い大学に進学したいと考えていた。東洋大学からは、最終的に中央大学に行った梁瀬峰史、城西大学に行った佐藤直樹に次ぐ3番手として勧誘されたが、佐藤尚コーチの熱心な誘いがあり、東洋大学に進学を決めた。 「高校のときから箱根に興味がありましたし、上りが強いので、5区希望でした。川嶋伸次監督(現・創価大学駅伝部総監督)や佐藤コーチには、山をやってもらいたいという話をいただいていたので、自分も1年目から5区を走るつもりでいました」 釜石が考える5区は、「職人」が走るイメージだった。山の適性をもち、上りの強さを発揮できる選手だけが走れる区間。釜石は走力としてはまだまだ足りないが、山の適性があると自負していた。 実際、合宿での山上りはチーム内でいつもトップだった。「これならある程度、箱根も上れる」と首脳陣の期待を一身に集め、釜石は5区に起用された。 年末、順天堂大学の区間配置が発表された。5区には今井の名前があった。 「そのころ、今井さんは雲の上の存在でした。僕が高3のとき、今井さんが仙台育英学園高校の夏合宿に参加されたんです。そのときに坂を一緒に走ったんですが、まったく太刀打ちできなかった。そのときから今井さんのすごさを感じていましたし、同じ区間で走るときも今井さんは神のような存在だったので、意識をすることはなかったです」
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