「生きていても仕方ない」と嘆く人は、幸せになる能力に欠けているのか?
何度でも言い続ける
「私は幸せになる」と何度でも言い続ける。棺桶に入っても言い続ける。自分は幸せになれる人間だと信じられるまで言い続ける。幸せになれる人間だとノートに書き続ける。そしてそれを読み続ける。 外側の環境を変えるよりも自己イメージを変えるほうが、幸福になるためには有効である。そうして肯定的な自己イメージを作り上げれば、必ず幸せになれる。 今、不幸なあなたは幸せになる能力がないのではない。能力はある。しかし、その能力を破壊し続けているのはあなたの否定的な自己イメージなのである。恨みがましいパーソナリティである。あなたの心の中にある、いろいろな種類のマイナスの感情である。 本来の自分の力に気がつけば、ビクビクする必要はどこにもない。自分には力があるのに力がないと思い込み、事態に対して恐怖心を持つ。そうして恐怖心から行動するから、トラブルにうまく対処できない。 うまく対処できない原因は心の底の恐怖心である。しかし、その心の底の恐怖心はなんの根拠もない。なんの根拠もなく思い込んだ恐怖心に、あなたの人生は支配されている。 例えば今、あなたが対人恐怖症だったとする。そうしたら「今、私が怖がっている者の中で、実際には怖い者など一人もいない」とまず自分にいう。「自己主張をしても、恐ろしいことなどなにも起きない」と自分に言う。 捨てられるのが怖いという人は、「捨てられることはない。もし捨てられたら捨てられたほうがよい。捨てられたことは一時的に苦しいが、必ずもっといい人に出会える」と自分に言い聞かせる。 そして、それらのことを紙に大きく書いておく。毎朝、毎晩その紙を見る。その人の恐怖心が「怖くないものを怖く」する。「迎合する」とその人を怖くする。自分がその人を怖い人にしている。
この運命を生きる
自分は親から愛されなかった、自分は神経症の親から嫌われた、自分は親から「死んでくれればいいのに」と願われた、そういう過酷な不幸を受け入れた時に、心の成長がスタートする。 それは幸せへの鍵を手に入れた時である。人間としてもっとも困難な矛盾を乗り越える、それ以外に神経症を治癒する方法はない。 この矛盾を抱えている限り、心の土台がない。社会的にどんなに頑張っても、いわゆる「弱い人」になってしまう。 どんなに社会的に成功しても、それだけでは「心の砦」ができない。共同体感情を持っていないから、人生の諸問題を解決することはできない。 自分の母親は冷酷な女性だったという不幸を受け入れた時に、辛らつに血を流しながら、人を理解することができるようになる。そこで、共同体感情が芽生えてくる。不幸を受け入れることと、共同体感情が芽生えてくることは、不可分なことである。 世の中には、母なるものを持った母親に育てられた人がいる。残念だけれども、自分はそちら側ではない。そのことをいつまで悔いていてもなにも始まらない。なにも解決しない。眠れるようにはならない。心身のつらさは消えない。 「この運命を生きる」という目的を持って、気持ちを落ち着かせる。 性格の強い人は不幸を受け入れている。次に自分の弱点を受け入れている。 例えば「私は両親不和の家に生まれた」という自分の生い立ちを受け入れる。「私は生まれてからずっと「心の帰る家がなかった」という自分の生い立ちを受け入れる。「不幸を受け入れる」ことができるということが、自分を受け入れるということでもある。理想の人生を断念し、現実の自分を受け入れるということである。これが強い性格の人である。 自分の原点を見つめて、そこから出発する。その時に初めてありのままの自分を受け入れることができる。
加藤諦三(早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)