三上博史「若い頃は、どうしたらみんなが“げんなり”するかばかり考えていた」
── 確かに面白い! 聞いてみたかったです。では改めて、三上さんはヘドウィグというキャラクターをどう解釈していますか。 三上 この作品を、「私の片割れ探し」とか「運命の赤い糸」とか少女趣味みたいな方向だけに持っていかれちゃうのは本意ではありません。僕は初演時からずっと「これは痛い女の妄想話だ」と解釈しているんです。中西部のどこかで生まれた、ちょっとメンタルをやられた女で、場末のライブハウスに行った時に見かけたギタリストがとっても素敵だったから、「私、あの人と付き合ってるの。それで私の作った曲を彼が盗んだの」と、そんなことを言っている話だと思っていて(笑)。 いるじゃないですか、そういう人。「東ドイツから出て来て」というのも嘘で、だから僕は映画版ではなく、舞台版が好きなんです。映画は子役が出て来て、お母さんも登場するからリアル過ぎちゃう。その点、舞台には、「全部、妄想です」って言えちゃう余地がある。妄想だからこそ、純粋で一点の疑いもない──、僕はずっとその解釈で演じてきました。 ── 今回のライブを通して、三上さんが伝えたいことはなんですか。 三上 劇場に足を運んでくださる方に、何かしらの愛を送りたいんです。「ああいうダサいことは絶対したくないよな」とか、全然反面教師で構わない。その人たちが違う道を見つけたりしてくれても良くて。「大丈夫だから、みんな、綺麗に生きよう!」ってことを伝えたいです。 言葉にすると、すごく大上段から押しつけがましくなっちゃいそうで嫌なんですけど、もう残りの人生、綺麗に生きたいんですよ、僕(笑)。昔は他人の目も気になりましたが、今はそういった思いは全然ないです。これ以上汚れたくないし、これ以上濁りたくないし、勝ち負けでもない──。そういったものを超越したところにいたいです。理想論といえば理想論だけど、「そんなに傷だらけにならなくてもいいじゃん。大丈夫だよ!」という気持ちを、歌に込めて届けたいです。