三上博史「若い頃は、どうしたらみんなが“げんなり”するかばかり考えていた」
当時は10センチのピンヒールを履いていたけど、さすがに今は無理
── ヘドウィグは、伝説とも言われる三上さんの当たり役。日本初演で、ヘドウィグを演じることになった経緯を教えてください。 三上 ちょっと長くなりますよ(笑)。 ── はい! 存分に語ってください。 三上 そもそも僕、寺山から「お前は俺の演劇に出なくていい」と言われていて、自分は演劇には向いていないと思っていたんです。そして40歳を迎え、もう役者稼業を引退しようかと考えていた時に、寺山没後20年記念としてPARCO劇場で上演した『青ひげ公の城』(2003年)という作品に出演させてもらいました。そこで、「こんなに自由に泳げる場所があったんだ」と一気に演劇に傾倒していきました。 『青ひげ公~』の公演後、当時自分のアパートがあったアメリカの西海岸に帰り、たまたまふらりと入った劇場で、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観たんです。とにかく音楽がものすごく印象に残って、「このちょっとグラムロックっぽい音楽を、自分が長年続けてきたバンドで演奏できたらいいなあ」と思いました。日本に戻った時に、『青ひげ公~』のスタッフにヘドウィグの話をすると、まさにこれから日本でも上演しようと思っているという話で。そこから紆余曲折あって、なぜか僕のところにその話が来たんです。 演じてみると、自分でも驚くほど自由に泳ぐように演じることができ、公演を重ねていくうちに客席側の熱がどんどん上がっていくことを実感しました。その流れで2年目のお話をいただき、3年目も、となったのですがそこで身を引きました。正直大変な作品ですし、ほかの人が演じるヘドウィグを観てみたいという気持ちもありました。 ── 「ライブ・バージョン」と銘打たれた今回は、どんな舞台になりそうですか。 三上 今回、日本初演から20周年というタイミングで声をかけていただいたのですが、今の自分が、フルであの作品をやり切るのはしんどいなぁと。初演の頃みたいに、ギラギラもしていないですし(笑)。当時は10センチのピンヒールを履いていたけれど、さすがに今の自分にはちょっと無理です。 ある時、最初は音楽が印象的な作品だと感じたことを思い出したんです。だったら初心に帰って、今回は演奏だけというかたちでも良いのではないかと、初演以来付き合いのあるミュージシャンたちに声をかけたところ、ほぼ全員、当時のメンバーが集まってくれることになりました。みんなこの20年の間にいろいろありましたから、それぞれの人生がにじみ出て面白いことになるだろうし、深みも増しているはずです。……だけど、「芝居やんない」って聞いて、正直ガッカリしたでしょ?