なぜ水谷隼&伊藤美誠ペアは宿敵中国を破り日本卓球史上初の五輪金メダルを獲得することができたのか
「相手が打ってくるボールに慣れていなかったこともあり、第2ゲームまではプレーにチグハグさが目立っていました。伊藤選手がよくなってくるとポイントが増えてきますけど、ゲームの流れや組み立てそのものは冷静な水谷選手が引っ張っていました。やはり経験値があるというか、勝つためにはどうすればいいのか、というのをわかっていますよね。パートナーを信じ、伊藤選手がいい体勢のときには彼女に任せた戦い方も功を奏したと思います」 1989年生まれの水谷と2000年生まれの伊藤は静岡県磐田市で生まれ育ち、年代こそ重なっていないものの、ともに磐田北小学校を卒業している。水谷の父親、信雄さんが設立した「豊田町卓球スポーツ少年団」に伊藤も通っていたころからの幼馴染みで、普段は「じゅん」「みま」と名前で呼び合う、たとえるならば兄妹のように仲がいい。 東京五輪で新たに採用された混合ダブルスへも、以心伝心とばかりに、お互いが希望し合う形でペアを結成した。男子の新エース・張本智和(18・木下グループ)、女子をけん引してきた石川佳純(28・全農)のペアも考えられたなかで、松下氏は「水谷選手と伊藤選手のペアが一番いいのではないか、と思っていました」と振り返る。 「張本選手の場合はダブルスでの経験値がちょっと低いという事情もありますが、何よりも中国に勝つためにはどうしても伊藤選手が必要になってくる。プレーが意外性に富んでいて、中国勢の前に立ちはだかる唯一の外国人選手として恐れられている伊藤選手は、中国のなかでは『大魔王』と呼ばれているくらいですから、中国に大きなプレッシャーをかける意味でも伊藤選手と、経験豊富なベテランの水谷選手を組ませるのがベストじゃないかな、と」 水谷の存在は4-3で勝利した25日の準々決勝でも際立った。最終第7ゲームで2-9とリードを奪われ、実に7度のマッチポイントを握られる絶体絶命の状況から16-14とひっくり返した。奇跡の逆転勝利をあげた直後には、伊藤は涙ぐみながらこう語っている。 「水谷選手と一緒だったから、この試合を乗り越えられたと思っています」