ドラえもん歌手40周年の思い 山野さと子「みなさんを歌で元気づけたい」
短大時代に就職活動もだんだん芽生えたプロ意識
就職活動を始めていた短大2年の時、所属する事務所の担当者から「あなたプロとしてやらないの?」と声をかけられた。 「私は当初『レコーディングは1曲だけ』と思っていたから、自分にはそんなの無理と思って、英語を生かせる仕事を探してました」と山野さん。そんな時、約1か月にわたりアメリカのサンディエゴへホームステイに行く機会が訪れた。 広大な大地の中で過ごしていた時、ふと事務所担当者の「プロとしてやらないの?」という言葉が頭の中を巡った。「プロは無理っていう考えがあったんですが、人生は一度きり。アカンかったらまた戻ればいい」。そんな考えが浮かび、卒業後はプロとして上京。当初は歌手になることを反対していた父親も「3年やってアカンかったら帰って来い」と背中を押してくれたことは大きな力となった。
上京後に出会った思い出の曲「とんがり帽子のメモル」「メイプルタウン物語」
卒業後に上京。最初に担当したアニメソングは「とんがり帽子のメモル」だった。作詞は「ちびまる子ちゃん」の声でおなじみのTARAKOさん、作曲は古田喜昭さんだった。アニメもヒットし「この曲でこれからもがんばっていこう」という思いになるなど、忘れられない一曲となった。 その後「ミームいろいろ夢の旅」「メイプルタウン物語」などのアニメソングをリリース。メイプルタウン物語は、歌手の小坂明子さんが作詞・作曲を担当。 「小坂さんが歌うデモテープを聴いて、細かくディレクションもしてもらったり思い出の曲です。主人公の声優オーディションも受けて、ダメだったけどブタの『プリプリン』の役を初めてもらい、その後もビックリマンやトッポジージョで声優も務めたので、大きなきっかけのひとつになりましたね」
大きな転機「ドラえもんのうた」を歌うことに プレッシャー乗り越えた
同じころには、NHK教育テレビの「ゆかいなコンサート」で司会と歌のおねえさんを担当、この番組は5年にわたって放送された。そのころ、山野さんにとって大きな転機が訪れた。 1989年、映画「ドラミちゃん ミニドラSOS!!!」のテーマソング「ハロー! ドラミちゃん」を担当することに。そして、同時上映される「ドラえもん のび太の日本誕生」で「こんなこといいな♪」のフレーズで知られるドラえもんのうたも担当することになった。 「ドラミちゃんの話をもらってすごくうれしかったんですが、まさか、ドラえもんの歌も歌わせていただけるなんて夢のようでした」 しかし、同時に大きなプレッシャーにつぶされそうにもなった。放送開始当初から流れていた大杉久美子さんの曲を引き継ぐこと。「これはオーディションではなかったし、当時は『どうして私なんだろう』という大きなプレッシャーも感じました」 そんな時、担当ディレクターがレコーディングの場で「意識しないで自分なりに明るく歌って」と声をかけてくれた。この言葉にホッとして、安心して歌うことができ、映画館で自分の曲が流れた時のうれしさは今でも忘れられないという。 この時レコーディングした曲は、3年後の1992年からテレビ版の主題歌としても採用された。その後、2002年まで放送で流れ多くの人に聴いてもらえるようになった。 「ドラえもん、ドラミちゃんのおかげで多くのみなさんに知ってもらえるようになりました。この曲は今でもコンサートでリクエストが多いですね」と山野さん。自身の代表曲として、今でも歌い続けている。 1992年には、世界名作劇場「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」の主題歌「微笑みでプロローグ」も担当。アニメソングを歌うようになって、あこがれとしていた世界名作劇場を担当できた喜びをかみしめながら熱唱した。 現在もコンサートではオープニングで使うことが多いという。