【闘病】原因不明の目眩と嘔吐がまさか「多発性硬化症」妊娠中や出産後も再発
脳や脊髄、視神経のあちらこちらに病巣ができ、感覚の障害や運動・歩行の障害などさまざまな症状が表れ、再発と寛解を繰り返す「多発性硬化症」。今回お話を聞いたのは、多発性硬化症を発症後、闘病生活を送りながら二人の子どもを育てる横道麻理香さんです。 【イラスト解説】「自己免疫疾患」を発症する原因や症状 病気の発症は高校を卒業した直後だったそうですが、初めはなかなか診断がつかず、不安の中過ごされていたそうです。交通事故がきっかけで病名が判明したという横道さんの闘病生活についてお話を聞きました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年5月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
原因のわからない不調、押し寄せる不安
編集部: まず初めに、発症の経緯を教えてください。 横道さん: ある朝起きると、回転性目眩で朝から夜まで嘔吐が続きました。東日本大震災の直後だったのでストレスと思い、翌日総合病院へ行ったのですが、原因がわからず。「思春期だから」とか「メニエール病かも」と言われ、耳鼻科を勧められました。 しかしメニエール病ではなく原因も不明との診断で、今度は地元の神経内科を紹介されました。後日、神経内科へ1人で行ったのですが、そこでも原因はわかりませんでした。 編集部: 原因がわからない間、どのようなお気持ちでしたか? 横道さん: 私はもう死ぬんだと本気で思いました。地元の神経内科の帰り道、泣きながら家まで歩いて帰ったことを今でも覚えています。「私がまだ未成年だから教えてもらえないのかな」とも思い、親には、「またわからなかった」と伝えました。 編集部: そのような状況からなぜ病気が判明したのでしょうか? 横道さん: ある日、原付バイクに乗っている時に巻き込み事故にあい、MRI検査を受けました。回転性目眩で受診した総合病院でしたが、目眩の時に診てくれた先生ではありません。 そのMRI検査の結果、以前からわからなかった不調の原因が判明し、すぐに紹介された市立病院に行きました。その日はゲリラ豪雨で、なんとなく胸騒ぎがしたので、初めて父親と一緒に病院まで行きました。 それから後日検査入院をして、正式に「多発性硬化症」と診断されました。市立病院を紹介され検査入院、診断が確定するまで約6カ月間もかかりました。 編集部: 病気が判明したときの心境について教えてください。 横道さん: 病気の名前がわかった時は本当にホッとしました。何もわからない状態が1番怖かったんです。事故があったおかげで私の病気が判明したことは、不幸中の幸いだったと思っています。 編集部: どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか? 横道さん: はじめはベタフェロンという自己注射を始めたのですが、途中で再発をしてしまい、治療薬のステロイドパルス療法に変更となりました。 編集部: 発症後、生活にどのような変化がありましたか? 横道さん: 病気がわかった途端、どんどん調子が悪くなっていったように思います。今では外出する際に、オルトップという短下肢装具をつけ、車椅子移動をしています。