地質年代の探求II:地球誕生“紀元前4千年” 聖書裏付け研究が真実導く皮肉
紀元前4004年説の呪縛
中世から19世紀後半(及び20世紀前半)まで、何百年にもわたる歴史の渦の中。実に長い間この「紀元前4004年地球誕生説」は、ほぼ事実として欧米各国において広く認められてきた。異なるアイデアが付け入るスキなどほとんどなかった。多くの人々にとって、太陽が東の空から毎朝昇るのと同じように。「大陸が移動することなど不可能だ」というアイデアが根付いていた時代のように(こちらの記事参照)。数千年というスケールの地球の歴史は、日常における常識として君臨していた。 しかし、この聖書にもとづく地球年代の呪縛を、私は幼稚で些細なアイデアと観ることはできない。その当時、非常に限られた知識の中で、人類が導き出したベストの答えの一つが、「6012歳」というものだったのだ。現在、地質学者が用いるさまざまなテクノロジーやデータ(注:特定の岩石における放射性同位体の測定)など、もちろんアクセスできなかった。スマホやGoogleの影も形もない時代だ。(どうやって研究など行えたのだろうか?) 地球や生物の誕生のプロセスは、人間の存在意義やアイデンティティーにも関わる重要な問いかけだ。サイエンスの範疇(はんちゅう)を超えて普遍的で哲学的でもある。後述するように近代地質学がはじまった18世紀から19世紀後半にかけて、地質学者にとって最も重要な科学的疑問の一つは「地球の年齢」に他ならない。(他に「化石の意味」や「地球の姿形・構造」などもあった。) そして、サイエンス上の知識がかなり限られていた時代において、人々はこうした自然や地球における未知なる現象の説明付けを、基本的には宗教に求めた。時には絵画や音楽などの芸術も用いられた。(科学がますますその重要性を増している今日とは、人々の自然に関する感性もかなり異なる趣があったのかもしれない。) 例えばルネッサンス期に活躍した、イタリアの偉大な芸術家ミケランジェロは、「天地創造」(地球誕生の様子)の一場面を、有名な絵画「大地と水の分離(The Separation of the Earth from the Waters)」において表現している。1508年から1512年にかけて、システィナ礼拝堂の天井に描かれた大作の一部分だ。