【毎日書評】恐山の住職が説く、ポジティブにならなくていい「ニュートラルな生き方」とは?
「ゼロ」の思考と「ニュートラル」な在り方
「プラス」でも「マイナス」でもない「ゼロ」の思考。 「ポジティブ」でも「ネガティブ」でもない「ニュートラル」な在り方。 「前向き」でも「後ろ向き」でもなく、そこに「止まる」こと。 私は時々、と言うよりは定期的に、それが必要だと思う。 「プラス思考」で「ポジティブ」で「前向き」な人は、そうである限り、そうさせている「ものさし」の正しさを疑わない。そして、その道具がいつでもどこでも通用すると信じがちである。そこが危ない。(210ページより) この世の厄災は、そういった“「プラス」関係の行動”から出るのだと著者は主張しています。「反省」に乏しいからこそ微調整も効かず、ひとたび方向がズレると取り返しがつかないところまで行ってしまうというのです。 「ゼロ思考」は「思考ゼロ」、すなわち「考えない」ことではないはず。大切なのは、損得でものを見ないこと、自分の「見たいもの」を見ようとしないこと、そのものを「見る」のではなく、そのものが「見える」ようにすること。 その先を行けば、禅門で言う「非思量(ひしりょう)」(物事を自分への問いかけと受け止めて、安易に答えを出さず、そこにとどまること)の境地があるだろう。この「非」が「不」でないところが肝心なのである。(211ページより) 「ポジティブ」でも「ネガティブ」でもなく「ニュートラル」であるためには、「いい加減」にしておけばいいのだという著者の主張には大きな説得力があります。もちろんそれは、手を抜けという意味ではありません。結論を急がず、「様子を見る」「時機を待つ」ことも立派な「加減」の策であるということです。(210ページより) 恐山の住職というイメージとは対照的なくらい、著者の文章は親しみやすく印象的。ときにニヤッとさせられたりもしますし、無理なく読み進めることができるはずです。苦しくて切ないという思いを抱いている方は、手にとってみるべきかもしれません。 >>Kindle unlimited、2万冊以上が楽しめる読み放題を体験! 「毎日書評」をもっと読む>> 「毎日書評」をVoicyで聞く>> Source: 新潮新書
印南敦史