【毎日書評】恐山の住職が説く、ポジティブにならなくていい「ニュートラルな生き方」とは?
「プラス思考」は本当に必要?
ビジネスのシーンでもしばしば用いられる「プラス思考」ということばが、著者はどうしても苦手」なのだそうです。 類語の「ポジティブ」「前向き」にしても同じで、これらを我が物顔で口にされると辟易してしまうのだとか。 以前、某ホテルの喫茶店で人を待っていたら、隣の席に同僚らしき男が二人、差し向かいで座っていて、年配の方が若い方に、「プラス」関係を乱射していた。 「だからさあ、そこはプラス思考で行こうよ。何事も前向きでやらんと、君みたいにネガティブに考えてたら、先に進まんもん」 「はあ……」 「ダメ、ダメ! 変に考えすぎると、マイナスだよっ!」 「ただ、対案を出すとき、もう少し詰めておくべきだったと……」 「それは済んだこと! もう次を考えんと! ポジティブにいかんと!!」 (206~207ページより) 若いほうは落ち込んでいるわけでも後悔しているわけでもなく、反省していただけだったそう。しかしその「反省」に対し、年配者は「とにかく次に向かい、プラスでポジで前に出ろ」とまくし立てていたわけです。 「ネガティブ」がよいとも、「マイナス思考」が大事だとも、「後ろ向き」が必要だとも思わないけれど、他人の「反省」を無にしてまで、なぜそこまで「プラス」関係に自信満々なのかがわからないと著者はいいます。 たしかにその「プラス」とは、いったいなにを意味しているのでしょうか? 思うに、それは「もうけること」「稼ぐこと」「得をすること」であろう。「ポジティブ」も「前向き」も基本はそれである。より大きく稼ぐために「ポジティブ」で「前向き」でなければならない。 いや、「人間的な成長」や「社会人として認められる」ためだと言う御仁もいよう。気持ちはわかるが、当節では「成長」も「認められる」のも、それを計測する「ものさし」は儲けと稼ぎ、すなわち金である。(207~208ページより) まじめな「反省」が「マイナス思考」で「ネガティブ」で「後ろ向き」にしか見えないのは、本来なら測るべきでないところをお金で測っているからだというのです。 同じく人を「人材」と呼んではばからないのも、私たちの思考と心情が、市場経済の金回りのなかにどっぷり浸かっている証拠だそう。なんとなく、耳の痛い話ではあります。(206ページより)