アトレチコ鈴鹿クラブ誕生物語。元Jリーガー社長が主導し「地元に愛される育成型クラブ」へ
プロ選手を経験し、会社経営に携わり、サッカービジネスを見ると…
引退後は協同に入社してすぐ台湾に渡り、サッカーが盛んではない土地で3年間「ボールも見ない」生活を送ったという。今はビジネスマンとしてブラジル生活で身につけたポルトガル語、英語、中国語を駆使する生活を送っている。 サッカーに携わる、サッカーを支えることは彼の念願でもあった。 「事業、マネジメントなどの面でサッカーを将来支えたい――。引退したときにそう決めていました」 今回の経営参入についてはこう説明する。 「ヤス(三浦泰年)さんやカズさんが鈴鹿にいましたし、連絡は受けていました。ただネガティブな要素があった中で、そちら経由の情報だけで決断はできません。M&Aのエキスパートに仲介してもらうことが必要でした」 近年だとBリーグの仙台89ERSのオーナーチェンジにも絡んだストライク社が、M&Aの仲介者として鈴鹿の取引にも関わっている。斉藤社長の「直電」から始まったディールだった。 「僕はたまたま『SMART』というM&Aのサイトを見て、サッカークラブと出ていたので、担当の方に電話したんです」 2023年の6月に連絡を取った直後は、一旦買収を断念していた。 「早く決めなければいけない事情はわかりましたけど、(当時のオーナーと)話したこともないし、現場も見たこともないのでお断りしました。でも8月に『あの話をもう一度どうか』と連絡いただいて、真剣に考え始めました」 そこから現場の視察、交渉が急ピッチで進み、9月末に合意。11月の発表に至った。斉藤社長はクラブ経営の方向性についこう説明する。 「自分がプロ選手を経験して、会社経営に携わって、その上で今のサッカービジネスを見たとき、まず『しっかりとしたビジネスモデルを構築するべき』と思いました。Jリーグは親会社が補填したり、大口スポンサーにお願いしたりして黒字になるケースがほとんどです。そうでなく出す側と受け取る側の双方が、利益を共有できるビジネスを生まない限り、それは本質的なプロクラブと言えないのでは?ということをずっと考えていました」